1月30日

「要するに、原因はうまくいかないものにしかないのです」

————ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』

 昼寝をした方がいい日記が書けるのかもしれないと思い、寝てみたら思ったより寝てしまい日付を跨いでいた。

 その日あったことを書くことは、毎日を現在で充填することだ。この場合、起床から就寝までのあいだに食べたものとか会った人とかやった仕事とか何らかのフレームに寄りかかって日々の出来事を圧縮することになる。(いつかまたこの)現在に追いつくための「タグ」。それは日記というより日誌的なものに近づくだろう。この日記は今のところそういうものではなく、日々のスカスカ感、「今日」というものの脆さに寄りかかって書かれている。

 今朝、昨日の日記を書くのに1時間もかかり、そのうえあんまりよく書けなかったのでヘコんでいた。昨日は都内に出て人に会って展示を見てといろいろあったし、とくに展示についてはちゃんと書かなきゃと思ってしまいダメだったんだろう。固有名には雑に扱える角度からアプローチする必要がある。とはいえあんまり何にもないと日記について日記で書くことになってしまう。

1月29日

 帰ってきてすぐに寝て、起きたらもう朝だ。ロッテのチョコパイがあったので食べて、コーヒーを淹れる。

 昨日。新宿で降りて代々木まで歩く。山内祥太の「第二のテクスチュア(感触)」へ。待ち合わせていた大和田さんが来ないので先に見て喫茶店で時間を潰す。1時間後に展示を見終えた彼と合流した。馬喰町へ移動して今度は永田康祐の「イート」を見る。大和田さんは二度目だったが付き合ってくれた。

 横浜に帰ってきて駅から出て、耳が痛くなってきたのでマスクを取った。そういえば昨日、ということは一昨日、博論公聴会で使うzoomウェビナーを平倉さんと試してみた。見学者役でさとしゅんと関さんにも来てもらったのだけど、なぜか僕のマイクとスピーカーだけ繋がらない。イヤホンを有線にしたりPC内蔵オーディオにしたりしてもダメで、聞こえないし僕の声も向こうに聞こえていない。あれーとか聞こえますかーとか言いながら「zoom オーディオ 繋がらない」とかググっている自分の顔と、見学者と何か喋っているらしい平倉さんの顔が写っている。結局「オーディオに参加」をクリックしていないだけだった。ビデオ参加とオーディオ参加をどっちも選択しないといけないのは変な感じがする。ビデオのアイコンを押したら声も繋がってほしい。

 山内さんの個展は顔、永田さんの個展は食べたり喋ったりする口、こないだ見た大和田さんと大岩さんの個展はどちらも耳を扱っていた。何か顔周りでいろいろ起きているなと思いながら、疲れていたのでまとめるのは起きてからにしようと寝た。起きたけどたいしてまとまらなかった。

1月28日

 そうでなくとも週5日同じところに通って働くことに耐えられそうもないのに、こんな状況で医療の現場で働いている人には本当に頭が下がる思いだ。昨日は世界全体の感染者数が1億人を超え、死者は200万人にものぼるという報道もあった。あらためてとんでもないことだ。

 その後ゆるいみぞれに変わった冷たい雨が、スニーカーに少しずつ染みてくる。冬の雨は空を不気味なほど一様な白にする。子供の頃、父の運転するハイエースの後部座席にだらんと寝転がりながら、サンルーフを開けてそういう空を眺めていた。どこを走ってもその白が窓一面に張り付いている。ハイエースのジェームズ・タレル。本家よりずっと怖い。そのとき空間というものを初めて経験したのかもしれない。ずっと動いているのに、結局のところどこにも行けやしない。

1月27日

 夜中の雨で気圧も低く気温も下がらなかったからか終始眠くてしかたがなくて、朝4時に起きて二度の昼寝を経て、午前3時前に日記を書いている。

 近所のパン屋さんでパンとコーヒーを買ってきて朝ご飯にして、トマトとソーセージで簡単なパスタを作って昼ご飯にして、福富町の韓国料理屋からヤンニョムチキンとキンパを配達してもらって晩ご飯にした。

 これも近所の引越し先まで歩いて行って部屋をメジャーで測る。ノートにざっと写した間取り図に数字を書き込んでいく。電気が通っていないので寒くて、靴下越しに床にどんどん体温を奪われる。

 それで疲れてしまって眠かったのかもしれない。ひととおり終えてすぐ近くの珈琲館に入る。日本語と韓国語を高速で切り替えながら喋るおばちゃん3人の会話が背中から聞こえてくる。それで韓国料理が食べたくなったのかもしれない。

1月26日

「私は噴霧器ではないので、いくら押されても希望の霧などこれっぽっちも吹き出しはしない」
———— ヘンリー・ミラー「春の三日目か四日目」

 もう眠い。今日はなぜか朝4時に目が覚めた。

 文房具屋で太い芯が入るシャーペンを見かけて、なんとなく買ってみた。紙をさりさりと擦って書く。いつからか、紙を触ると嫌な音を聞いたときのような不快感を覚えることが増えてきた。このシャーペンはギリギリのラインだ。

 こういう現象には音と触感のあいだの共感覚的なものが関わっているのだろうか。ちょっと調べてみたらそういう仮説も検証の余地ありとする聴覚心理学の論文が出てきた。この線で考えるとして、少なくともたとえば黒板を引っ掻く音は「黒板」というものを喚起するから不快だとは言えない——これは嘔吐の音が「嘔吐」を喚起するのとは全く異なる——だろうからには、それは知的な表象に関わっているのではなく黒板の触感とその音とのダイレクトな(そして双方向的な?)換喩関係に関わっているだろう。不快の要因はこの換喩関係に他の感覚(視覚、嗅覚、味覚等)が入り込む余地がないことによるのかもしれない。

 だとするとこれは共感覚が引き起こす不快というより、共感覚の強制的で部分的なシャットアウトが引き起こす不快ということになるだろう。たしかにそういう音や触覚は、体を当の感覚が喚起する印象に吸着してしまうような感じがある。ASMRが安眠に使われているのと裏表の現象なのかもしれない。こちらはいつも、音から特定の触覚とともに視覚的な像、場合によっては匂いや味もセットで喚起する。それはそれで苦手なのだけど。

1月25日

 起きた。焼きそばを作るのを失敗する夢だった。ソースを入れるのを忘れて、これは塩焼きそばだと言って、後からソースで味変するんだと言い訳していた。

 それでこないだ見た夢を思い出した。大阪にいた頃のアパートを出る。西に向かって橋を渡る。左に折れて、森に挟まれた坂道を抜ければ海がある感じがする。自転車に乗っている。海がべつに見に行くようなものではなく、暗いコンビナートしか見えないことに思い至って、引き返すことにする。Uターンしているのを、コンビナートから帰宅しているらしい東南アジア系の男に不思議そうな目で見られ居心地が悪い感じがする。大したことは起こらないが悪夢だった。

 大阪では庄内という街に住んでいて、なかなかにダウナーな街だった。豊中市の南側にあり、北にある千里ニュータウンでの再開発のときに建てられたのだろういわゆる「文化住宅」がたくさん——とはいえ震災で多くが倒壊したらしいが——残っていて、夕方になると洗面器を持って銭湯に向かう老人をよく見かけた。夜中には、アパートの目の前の道端に、東南アジア系の男たち5, 6人が、真冬も真夏も座り込んで、しかし互いに喋るわけではなく、それぞれイヤホンをして誰かとビデオ通話をしていた。

 真っ暗な道だしさすがにちょっと怖いなと思いながら通っていたのだけど、その顔ぶれが少しずつ入れ替わっていくのに気づいて、彼らは出稼ぎで来ていて、おそらく何人かで決して広くはない文化住宅のひとつの部屋に住んでいて、夜中、つまり彼らの母国の8時だか9時だかくらいに家族や友人と通話しようとすると、寝ている仲間の邪魔になるのでわざわざ外に出て、しかしファミレスなどに行くこともできずにいるんだろうと思い至った。それからは彼らの前を通りがかるたびに、どうか気まずく思ったりしないでほしいなと思っていた。

1月24日

 午前7時、日記を書くのに最も似つかわしくない時間、そしてもう25日なのだけど、まだ「夜」で、まだ「24日」だ。こういうことはしょっちゅうあるだろうから決めておこう。翌日の正午までであれば、「その日」の日記になると。すると1日の切れ目が真夜中から正午にぐるっと反転することになる。これは実感に近いが、あらためて言葉にしてみると妙だ。

でも実際はもっとややこしい。今日はまだ寝られないからだ。10時半から今学期で唯一履修している授業がある。この単位を落としてしまうと博論が審査に通っても修了できない。寝られるのは授業が終わる12時になってからだ。正午で1日が終わるのであれば、その時間に寝るのは普通のひとが夜中に寝るのと同じだからいいんじゃないかという気もするし、同じだから何なんだとも思う。そんなパズルみたいなことより重要なのは、今眠いということだ。しかしこれから仮眠して授業を受けた場合、いつ1日は終わるんだろうか。次の「本眠」まで? すると1日が35時間くらいになる。日記を書くのに最も似つかわしくない生活。1日が始まったり終わったりすることへの嫌悪というものがどこかにあるのかもしれない。

1月23日

 雨。11時ごろに起きて、つぶあんパンを食べてコーヒーを飲んで、コメダに行った。博論を読み返す。いつもそうだけど、自分が書いたものを読むとよくこんな難しいこと考えたなと思う。書き終わった途端に、書いているとき、とくに書き終わりつつあるときのいちばん明晰な景色はぼやけ始めるが、対象化されることで別の可能性が浮かび上がってくるほどまだ時間は経っていないのかもしれない。ときどき喫煙ブースに立ちながらいくつか誤字や細かいツッコミどころをメモする。

 お腹が減ったので近くの丸亀製麺でうどんを食べて、有隣堂で最近上下巻が揃った岩波文庫のラカン『精神分析の四基本概念』を買って、ドトールに入ってそれを読む。前に単行本で読んだのは学部生の頃だった。指導教員の三宅先生が『意味の論理学』の原書講読をしていて、そこで参照されているラカンの「「盗まれた手紙」のセミネール」を読んだあとで借りて読んだんだと思う。ほとんどわけがわからなかったけど構造や眼差しの話が新鮮だったのは覚えている。

 スーパーに寄って帰って、ゲームしたり昼寝したりして、起きてから数食分のラタトゥイユを作った。参考にした動画ではラタトゥイユはトマト煮込みではなくトマトが入った野菜炒めなんだと言っていた。ざっと炒めて蓋をして数十秒蒸らすというのを、硬い順に野菜を一種類ずつ入れながら繰り返し、最後にトマトを入れてまた同じことをする。冷めるのを待ちながら肉も焼いて晩ご飯にした。ラタトゥイユは確かに食感がしっかりしていて美味しかったが、どろどろになってナンボなんじゃないかという気もする。

 今日4杯目くらいのコーヒー。煙草は毎日ほぼきっちり一箱吸う。睡眠時間がぐちゃぐちゃなので煙草の切れ目が一日の区切りだ。だから必ず一箱ずつしか買わないし、無くなったら何時でも買いに行く。初めて日記らしい日記になった気がする。

1月22日

 今日は昼に起きて新居の契約をしに行った。長い契約書の説明を聞き、たくさん名前と住所を書いてたくさんハンコを押した。家賃と更新料と支払い手数料の関係についての文言の解釈でちょっと疑問があったので、どうなんでしょうこれはこういうことではないですかと言ったら、確かにそうですねすいませんと言われた。論理国語。

 貸主が甲で借主が乙。説明してくれる不動産屋さんは契約書のなかには存在しない。でも彼がいなければ契約は成立しない。帰り道にはもう甲も乙もなく、路地に入って2時間ぶりの煙草を吸った。

 

1月21日

 昨日の晩、樋口恭介さんが僕の文章は疲れているところがいいと言ってくれた。それで冒頭の文章から疲れている大岩雄典「スローアクター」展の批評を読み返したりした。

 それで思い出したのだけど、年末に大岩さんと布施琳太郎さんのトークの司会をしたときに、ふっと、都会は静かなのになんかあったりするけど、田舎は静かなところにはなんもないという話をした。僕は「都市」という言葉より「都会」という言葉をよく使う。「都市」というのは、静かだけどなんかある「都会」のひとが使う言葉だという感覚がある。

 トークの会場であり、そのとき大岩さんの個展がおこなわれていたTOKASは、水道橋とか本郷三丁目とかの駅の近くの、住宅や小さなビルの多い静かな地区にある。こんな静かなところに現代美術のギャラリーがあるのだなと、会場に向かって歩きながらぼんやり考えていた。

 美術が疲れるのは、物をちゃんと見るという変なこと(それはやはり変なことだ)を繰り返しするからであると同時に、まず会場まで行くのに疲れるということだ。美術が何か疲労の手触りと特殊な関係をもっているとするなら、作品への物理的、技術的、制度的なアプローチにかかる労力にも関わる。「サイトスペシフィック」とかいうことも、その「サイト」にどういうアプローチがくっついているのかということとセットで考えなければならないだろう。

 疲労は、展示に入る前と後、出る前と後を否応なく貫くものであり、それは持続と空間の連続性を指し示している。作品や展示がいかに「自律」していても、私の疲労はそれを閉じるがままにさせない。水道橋の街のよそよそしい静けさにまで腹が立ってくる。見るべき室内の展示と見なくていい街の平凡な景色に、当たり前のように分割を強いているような気がして。

 その点、大和田俊の個展「破裂 OK ひろがり」のポンプ小屋の作品は良かった。何もない、栃木的にまっ平らな、枯れた田んぼの端に、ところどころ透明な板で囲んだ小さな小屋があって、その中に彼の《unearth》が設置されている。石灰岩に点滴袋からクエン酸を垂らし、それで数億年前の微生物の死骸でできた石が溶ける。マイクで拾われたその音が、町内放送に使われるような、電柱の上に取り付けられたスピーカーから流されている。

 狭義の会場である車屋美術館から離れたところに設置されたその作品は、ここからが美術、あとはその外という分割に基づいているのではなく、歩いたら疲れるとか、微生物が死んで石になるとか、集音するためには小屋を閉じなきゃいけないとか、でもその音は小屋の周辺にいる誰かれ構わず聞かされていることとか、石を見ることと音を聴くこと、スピーカーを見ることのあいだにフィジカルなズレがあって行ったり来たりしなきゃいけないこととか、そういうこととつながっている。

 しかし配布された資料にある、大和田オススメの、会場近辺のパキスタン料理店やトルコ料理店が書き込まれた手書きの地図は何だったんだろう。ちょうど地元の五月女さんが車で案内してくれたから行けたけど、ひとりで電車で行ってたら絶対行かなかかっただろう。そういえば《uneath》にもある、よくわからない多動を強いられる感じや、無理があるこの地図は、彼自身の落ち着きのなさを追体験するものでもあるのかもしれない。