2月8日

 菊地成孔の舌禍事件について書こうと思ったがめんどくさくなったので一点だけ。とにかく恐ろしいのは、この件で相手の町山智浩が少なくともオープンな場でやったことは、議事堂襲撃のタイミングで1年半前の記事を突然あげつらって菊地はトランプ主義者だと言ったことと、菊地の何千字にもなる応答の一部を切り取って、わざわざトレーサビリティの低いスクリーンショットを貼ったこと、このふたつだけだということだ。この点への反省なく、昔は好きだったけど、あるいは自分は前からそういうやつだと思っていたみたいな、松本人志に対して多くの知的な人々が向けるのと同じような態度を取っていれば分かってる風になることに対しては本当にクソだと思う。

 思い出したのは、大谷能生と一緒にやっていたラジオで、地震速報の直後(だったと思う)に菊地が地震や雷があるとワクワクすると言って、寄せられた抗議に対して翌週の放送で彼が番組冒頭に時間を取って謝罪していたことだ。彼は確か、ワクワクすると言ったことに対してではなく、それをヘラヘラしながら言ったことに対して謝罪すると言っていた。調べたら2005年のことだ。彼の『粋な夜電波』は2011年4月に始まる。とくに最初の1年間の放送は、音楽と喋りでどうヘラヘラするか、していいんだという感じを出すか、とても真摯に取り組んでいたと思う。

 やっぱり昔からそうだったんだと思うだろうか。それとも老いて見極めが効かなくなったんだと思うだろうか。そんなことで得られる納得はわれわれをどこにも連れていかない。何がそんなに怖いのか。ともあれ納得される当人は数週間で忘れ去られるそんな納得の外で生きていくし、それは作品や放送の記憶も同じことだ。

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カテゴリー: 日記