2月14日

 午後1時。今起きたばかり。「その日」の日記は翌日の正午までに書くと決めていたのだけど、日記を書かずに寝てしまった。まあしょうがないだろう。前にも似たようなことを書いた気がするけど1日であれ1年であれ単位時間で生活を区切るより、1週間後に小さい締め切りがあるとか、3ヶ月後に大きい締め切りがあるとか、そういうそのつどの大小のゲートみたいなものがあって、その手前の時間の緩急はこっちで完全に自由にできる、みたいなタイム感のほうが性に合っている。そうは言っても単位は数えるために必要だし、それは否応なく自分を数えられる側に組み入れる。ラカンは主体の構造を、数える者が数えられるもののなかに入り込むことと説明したけど、1日や朝昼晩、仕事とプライベートとかそういう相互に排他的な単位のセットに強く寄りかかった、いわゆる日誌的な要素が強いものには自分を数えられる側に還元する——ためにひたすら数えるという——欲求があると言えるかもしれない。まあこれは程度問題であって、同時に、たんなる思いつきの寝坊の言い訳なのだけど。

 

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カテゴリー: 日記