2月7日

 午前5時。昨日まで朝起きていたが、もう朝なのにまだ起きている。どうしてこうも1日という単位は脆いんだろう。理由は単純で、やりたくないことが迫るとだらだら起きてしまうというだけのことなのだけど。

 たまたまなのか博論に追われているのをツイッター越しに編集者たちが見て気を遣ってくれていたのか、めっきりこなくなっていた原稿依頼があった。博論の公聴会もある。引っ越しのいろいろや年度末のいろいろもある。それでも何時から何時にここにいろというタイプの予定が公聴会以外ないことは救いではある。予定は嫌いだが締め切りは好きだ。時間が単位ではなくテンションになるので、どんなときでも潜在的にだらだらしている感じがする。

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2月6日

 大学は山の上にあって、もともとゴルフ場だった場所らしい。たしかにいかにもそういう地形だ。国道1号線のバイパスである横浜新道からスロープが伸びていて、どちらの車線からでも道路を跨がずに正門まで上がることができる。又のところに建てられた看板になんちゃらカントリークラブと書かれていてもぜんぜん違和感がないだろう。

 程ヶ谷カントリー倶楽部という名前で、1923年に開場されたらしい。ウィキペディアに大まかな歴史が書かれているのを見つけた。戦中は東京の空襲を受けて農用地にされそこで米軍捕虜や朝鮮人が働かせられ、戦後やっと復旧しても米軍に接収され、日本人はプレーすることができなかったようだ。クラブハウスは米軍将校の宴会に使われ、彼らの失火により焼失してしまったらしい。

 1964年の移転にともなって横浜国立大学がその土地を購入する。駅に歩いて行くのに使っている、畑を横切って下る狭い道からはゴルフの打ちっぱなし場が見える。打ちっぱなし場は最も好きな建築のひとつだ。とくに夜に、緑色のネットが白い光のなかに浮かび上がっているところがいい。

 小さなボールのためだけの最大限の自由と、打者を一列に釘付けにしゴルフの競技性を骨抜きにする構造が共存している。そこに戦争とか日米関係とかを透かして見るのは、やりすぎなんだろうけど。

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2月5日

 夏。いつものセブンから出ると、むっとする熱気とともに爆音でヒッピホップが聞こえてきた。目の前に乗り付けたトラックから南米系の男ふたりが降り、入れ替わりで店内に入っていった。荷台には解体された足場が載っている。ひとりは短髪で、もうひとりはジャック・スパロウのように頭にタオルを巻いていた。キーが刺さったまま窓の開けられた車からまだ聞こえてくる音楽を聴きながら信号を待っていた。音楽は地元のものなんだろう。

 今日。同じ信号を待っているときにそのふたりのトラックが通り過ぎて行った気がした。

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2月4日

 明日が締め切りの事務作業を片付けた。何もなくても頭のなかで何かの推敲をしているので、何であれ書くべきものがあるのは助かると言えば助かるのかもしれない。

 人と比べようがないがいつも、絶えずと言っていいくらいそれが何の文章なのかもわからないまま頭のなかで何かを推敲していて、こないだは「腕によりをかける」と「手塩にかける」が頭のなかで衝突して「腕に塩をかける」になった。いずれにせよ書き物でそんな慣用句を自分が使うことはなさそうなのだけど。

 ちょっとした光景や身振り、音楽、人の声でそれがときおり遮られることに救いを感じていたが、この日記を始めて、少なくともそれが何の推敲でもなくなるということはなくなった、のかもしれない。

 日が延びた。日が延びたと、推敲した。

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2月3日

 マンション建つの早過ぎ問題に対置されるものとして、駅できるの遅過ぎ問題があるなと思う。こないだ渋谷に停車するときちらっと見たらまだ、たぶんその坂を登ったらデニーズがある桜丘というあたり、2年前くらいに丸ごと更地にされた場所が、まだ何も建っていなかった。郊外でマンションがタケノコみたいにひょこひょこ建って、都心の駅周辺は壊され続け、ステンレスの白い壁や単管、ゴムのマット、普通紙にプリントされラミネートされた矢印や養生テープであふれている。建設の速度と開発の深度、どこにいてもその摩擦のなかに生活があるのはどういう気分なんだろうと、ひとごとのように考えてしまう。

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2月2日

 マンション建つの早過ぎ問題というものがあるなと思う。建て始めたなと思ったらひと月もしないうちにもうそれっぽいものになっている。10階建以上のものは1年以上かけて建てるべしとか、そういうルールがあるべきだと思う。タワーマンションの空室問題とかも、中国資本がどうこう以前に個々の建築スピードが関わっている気がする。

 周縁の過疎と中心の過密があって、さらに中心の内部に都市のドーナツ化現象が引き起こされるというセオリーは今後どうなるんだろうとふと思った。都市のドーナツ化現象という言葉の語感は好きだ。東京はもともと皇居という穴の開いたドーナツなんだとバルトは言ったけど、今はどこも皇居周りみたいな感じだ。

 あと、何の店に入ってもあるビニールやアクリルの仕切りは汚れが目立つのでやめてほしい。どうしても仕切りがいるのならベニヤや化粧板にしたほうがいい。見通せるということがそんなに大事だろうか。せっかく換気してるんだから、迷路みたいに内側の襞を入り組ませて、外と中の関係のモードを増やして複雑にしてほしい。

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2月1日

 起きたら午前3時。起き抜けに吸ったら煙草が切れたのでコンビニに行く。台風の前みたいに風が強くて空気が湿っていて、ぜんぜん寒くない。煙草と、たいして飲みたいわけではないがセブンカフェのコーヒーを買う。たいして美味しいわけではないが買ってしまう。セブンのコーヒーはなぜか、飲むといつも車でどこかに行く途中に寄って飲んでいるみたいな気分になる。

 2016年の夏、茨城であった県北芸術祭の準備を手伝いに行っていて、使われていない山奥の民家に1ヶ月間住み込んで、車がないとどこにも行けない地元と似たような場所で、車のないスタッフやアーティストや物を運んだり、会場になる廃校や何かの鍵を開けたり閉めたりしていた。毎日数十キロ走っていて、あのときがいちばん集中的に車の運転をしていた。どんどん飛ばしても誰もいない。そのときも毎晩セブンに寄ってコーヒーを飲んでいた。

 こないだ大和田俊に会ったとき彼が車が欲しいという話をしていた。確かに車で遊ぶ方が楽しいだろうな、特に今はお店もすぐ閉まるしと思った。みんな田舎みたいな遊び方になるのかもしれない。

 学部生の頃はまだ地元の友達としょっちゅう遊んでいた。誰かが親から借りてきた車に乗り合わせて、福山の海岸沿いにある、銭湯と映画館とパチンコ屋とカラオケとボーリング場とフードコートがくっついた、24時間営業の「コロナワールド」によく行っていた。駐車場からは狭い海を挟んで、JFEのコンビナートの煙突から炎が上がっているのが見えた。

 

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1月31日

 先延ばしにしていた事務作業をいくつか片付けてゲームをして、とんかつを食べて本屋に行ってコメダに行った。

 久々に実家に連絡する。母は仕事の都合で市から出られない状況がまだ続いていて、犬は太り過ぎでヘルニアになったらしい。

 晩ご飯にシチューを作って食べたら強烈に眠くなり、起きたらもう朝だった。お風呂に入ろう。

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