4月11日

 日曜日。日曜日は苦手だ。昼過ぎに起きて、だらだらして、昼寝をして、ご飯を食べて、だらだらして寝る。出かけても人が多いし、家にいても何も捗らない。それにしてもここ1年間、近所の人出が減ったという感覚が全くない。すぐそこにある横浜橋商店街はいつ行っても賑やかだし、特に日曜は珈琲館やコメダに行っても待たないと入れない可能性がある。どちらにいても聞こえてくる会話の半分は外国語だ。中国、韓国、タイ系のお店が多くて黄金町から関内までを東西に貫いているイセザキモール——モールというよりただの商店街だ——周辺は移民街と歓楽街が重ね合わされたような場所になっている。かつての赤線地帯であり違法風俗店が密集していたという大岡川沿いは「浄化」され、その空白を埋める間に合わせのアート系の施設や飲食店が並んでいる。しかしそこから1本南に入ったイセザキモールのさらにひとつ南の裏道には性風俗業界がほとんど派遣型に引っ込んだ今となっては珍しい店舗型の風俗店が1キロ以上に渡って立ち並び、背中を向けた幹線道路側にわざわざ大きい看板を連ねている。通りを横切るとときおりぬるく湿った空気とともに石鹸の匂いが立ち込め、各店舗の前にはキャッチのおじさんが暇そうに立っていて、大量のタオルが入った袋が道端に投げ出されクリーニング業者の回収を待っている。深夜12時を過ぎると店の明かりは消え、イセザキモールから折れてくる帰り道のサラリーマンを目当てにキャッチが薄暗い四つ角にぱらぱらと集まってくる。おおかた派遣型の営業に切り替えて近くのホテル街に誘導しているのだろう。この時間になるとホットゾーンは北側の福富町に切り替わる。いちど桜木町の映画館でレイトショーを見た後歩いて帰るときにそのあたりで「マッサージ」のキャッチをしている中国人女性4人に腕を掴まれ背中を押され力ずくで店に押し込まれそうになった。夏には完全にタガが外れて道端で花火をしている人もいるし、パイ投げ合戦をしているところを通りがって「投げますか」と聞かれたこともある。脇にある薄暗いエリアには24時間営業のJ’s Storeという美味しいタイ料理屋があり、その周りの有料駐車場にはタイ人女性と元締めらしきおじさんがたむろし、不自然に胸の大きい白人がまばらな電灯の下に立って何かを待っている。何を見張っているのかわからないがヤクザの車が、ランプだけつけたパトカーと同じように速度を落として周回している。

 住み始めて4年経つがやはりこの街のことは——道徳的にというより能力的に——まだ書けないという感じがする。日曜日が苦手なのは平日の昼に働きに出ている人が街の風景に加わってこの街のことが余計にわからなくなるからだろう。でも言うまでもなくそれもこの街の事実だ。この珈琲館の目の前にある、イセザキモールに並行する大通り公園ではおじいさんが集まって地べたで将棋を指している。下校する小学生たちの嬌声には日本語と中国語が混ざっている。考えているのはこの街のことであり、同時に、近所とは何かということだ。イセザキモールと大通り公園というふたつの「表」通りを軸に、あみだくじのようにそのあいだをぶらぶらして毎日を過ごしている。いつも何をしているのかと問われれば近所をぶらぶらしていると答えるのがいちばん実情に即している。間違いなくこの街とともにあるが、この街に帰属しているという感じは全くない。この街にいる多くの人がそうなのだろう。ライプニッツは都市の近景と遠景の違いからそれぞれのモナドに乱反射する世界と神の統一的な視点の違いを説明したけど、近所は近景に収めるにはあまりに異質であり、遠景に収めるにはあまりに雑多だ。

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カテゴリー: 日記