4月13日

 確定申告の書類を作ったはいいが、引っ越したてで免許の住所書き換えをしていないしマイナンバーカードを持っていないので、役所にマイナンバー入りの住民票をもらいに行かなければならない。もうすぐ期限なので急がなければいけないが面倒になり本屋へ行って納富信留『ギリシア哲学史』(最近やたら高い人文書をよく見るようになったけど700ページ超で4400円は格安だ)を買ってコメダでずっと読んでいた。何かをすっぽかして喫茶店で本を読むことほど幸せなことはない。大きめの文章のアイデアもぽこぽこ浮かんでとても静かで充実していた。納富本はほんとにすごい本で、まだ100ページくらいしか読んでいない——やっとタレスやアナクシマンドロスが出てきた——けど今のところ「他者」と「人間」という言葉に当たりをつけて読み進めると著者自身の思想的な態度が炙り出せそうだという感触がある。このあたりにギリシア哲学の現在性が賭けられていそうだ。浮かんだアイデアは、分析哲学でクリプキの『名指しと必然性』が、大陸哲学でリオタールの『言説、形象』が、芸術学でクラウスの「指標論」が、なぜそれぞれ言語の外延性(言語外の対象を指示すること)をあんなに必死になって救おうとしているのかという問いに関わる。彼らに対して、こないだ書いたドゥルーズが言葉は冗長性なんだと言っている話は、言語の基礎づけに外延性を全く必要としない。東浩紀の『存在論的、郵便的』の固有名論へのアプローチもこの線から作れそうだ。

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カテゴリー: 日記