5月1日

 地震で目が覚めてじっとしていた。収まってから昨日読んだ鈴木一平+山本浩貴「無断と土」のことを思い出した。近代以降の日本における地震や戦争と天皇との関係を、慰霊や動員の名の下に国民を束ねる象徴としてでなく、その装置のうちにあらかじめ埋め込まれそれを壊乱する怪異——出自の取り違え、ルビや掛詞における語の呪的な多重化、死角の凝視による共感覚的対象性の地滑り——が展開される。日露戦争や関東大震災の時代を生きた詩人と彼の作品を素材としたホラーゲーム、及びその実況動画群などにおける広義の二次創作の増殖を分析した学術的な研究発表という体で書かれており、おもに山本が書いたのであろうテクストに鈴木のルビ詩や質疑応答の場面での発言が挟み込まれる。いちばん近いのは『カラマーゾフの兄弟』だろう。美術館で迫鉄平とトークをしたときに、ただエンパイアステートビルを8時間撮影しただけのウォーホルの《Empire》の話をした。当時は映像自体がまだ新鮮で貴重なので退屈な映像を作るのにものすごい労力と物量(単純にフィルムのこと。8時間だと2kmくらいいるんじゃないか)が必要だったが、退屈な映像と簡易な装置が氾濫したあとで迫の作品は新鮮な退屈さを作っているように思えると。そしてそれにはやはり「無断と土」が遂行するものと類比的な撮影対象、撮影行為、編集、展示を貫く構造の多重化が関わっている。迫が当時8時間使ってやったことを今なら15分でできる——彼の映像作品はだいたいそれくらいの長さだ——と言っていたのが印象に残っていて、それに似た圧縮、折り畳みがこの短編にはある。

 ようやく布団から出る気になってベランダで煙草を吸いながら、口内は常に喫煙可能だというフレーズを思いついた。JTが言うべきことかもしれない。

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カテゴリー: 日記