5月21日

 夜に中目黒に行って、五月女さんが所属しているギャラリー、青山目黒に集まってスーパーで買ってきた惣菜をみんなで食べながら喋った。どうしてかそれぞれの親との関係という話題になって、この日記を親に読まれていてそれが嫌だという話をした。読まれていることより読んでいることを伝えることで僕がどういう気持ちになるのか考えが及ばないことが嫌なのだけど、そんなこと言ってもしょうがない。彼らは『眼がスクリーンになるとき』が出たときに玄関に飾っていたような人らで、本を玄関に飾るなんてそれだけでぞっとするのだけど、こういう話も他人からすれば微笑ましいエピソードなのかもしれない。それで千葉雅也さんの「オーバーヒート」はやっぱりすごいと思うという話もした。この日記とそれが引き起こす屈託なんてぜんぜんかわいいもので、あの小説が——内容だけでなくその執筆の感情的負担や作品の社会的認知が引き起こすことを含めて——彼のご家族との関係にどういう複雑な機微を生むのか想像もつかない。話法やモチーフの繋ぎ方どうこうより、読んで最初に思ったのはとてつもない勇気だなということだった。業界的には「作者の死」的な前提を敷くことが常識になっていて、作中の主人公の両親と千葉さんのご両親は別物なのだけど、生きて書いている作者にとってはこの「両親」と「ご両親」の距離こそがフェータルなものになる。土地を失った実家との関係を扱ったあの小説自体もまた、支点のない距離のなかに投げ込まれている。

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カテゴリー: 日記