5月25日

 ここ最近ツイッターで「利他学」という言葉をよく見かけるようになって、その言葉を見るだけで恥ずかしくなってくるので「利他」をミュートワードに設定している。もちろんそれは自己犠牲の称揚などではなく、むしろ自分の利と他人の利を義務感ではないもので繋げることが考えられているのだろうけど、それにしたって利他なんてと思う。「優しさ」ならどうだろう。こっちの方が恥ずかしい言葉に思われる気もするけど、僕はいいと思う。優しさにはそれが裏切られたり、完全な自己満足に陥る可能性が埋め込まれているけど、利他はそれ自体で善いことであり、定義上無価値ではありえないからだ。優しさは相手に害をなすことすらある。定義上無価値でありえないということがそういう空恐ろしさをスキップする手形みたいになる気がしてしまう。しかしその手形を受け取るのが恥ずかしいというのはどういうことなんだろう。

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カテゴリー: 日記