5月20日

 昨日弱音を吐いたら雑談掲示板に日記掲示板常連の人たちから優しいメッセージが来て、掲示板を作ってみて本当によかったと思った。今時インターネットでこういう経験ができるのも珍しいだろう。彼ら彼女らはここでは「日記掲示板の常連の人たち」以上の存在になりようがないし、そういうその場限りの存在であることによって生まれる優しさと、でもやっぱり関係ないという感じが背中合わせになっている。どうかこれが冷たく聞こえないでほしいと思いながら好きにすればと言うことがよくあるので気持ちはわかる気がする。他人の屈託に付き合うだけが優しさではない。

 ともあれ日記は続けるし、これからも毎日書くだろうけど、書き方は変えるかもしれない。でも変えられないのかなとも思う。たとえばその日読んだ本の引用だけとか、ツイートみたいな一文とか、写真だけとか、そういうのでもいいじゃないかと思う一方で、それなら書かない方がいいとも思う。あといつのまにかそうなってしまっていることとして、この日記ではこの120日間いちども——たぶんいちども——「僕」や「私」という一人称を使っていないということもある。一人称を避けるというのはあまりに陳腐な思いつきで、かつ、避けたからといって文章が非人称的になるわけでもないのは百も承知なのだけど、あるとき使っていないなと気づいてそれからは意識的にそうしてきた。「僕」と言いたくなるのはたいてい彼はこうだけど僕はこうだとか、みんなと違って僕はこう思うとか、実は僕はこうなんだとか、そういう臭みが混ざっているときだなと気づいて、「今日」とか「このサイトの日記」とか、そういうものに文の帰属先を一元化したいという潔癖症に駆られてきた。そういう愛すべき臭みのための場所は他にいくらでもあるだろうと。でもそれも変えられないのかもしれない。日々の変化より積み重ねてきた屈託の方がずっと頑固かもしれない。それが怖い。それが愛おしい。

 

 

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5月19日

 気分の上下があんまりない方だと思っていた。実際すごく塞ぎ込むこともなければ喋りまくったり無茶な遊びをしたりすることもないし、酒さえ飲まないし、あえて言えばつねに微弱な鬱で、それによって本当の鬱になる危険に対して敏感になることができているんだと思っていた。今日で日記を始めて丸4ヶ月で、必ずしもそういうわけではないなと気づいた。こんなに毎日面白くていいのか、みんなびっくりするだろうなという謎の全能感が数日続いたと思えば、こんなにつまらないものを人に読ませるのは恥ずかしいという気持ちになって、公開ボタンを押すのが辛いこともある。思春期かというような自己評価の揺らぎで、それはそれで新鮮なのかもしれないけどそうも言ってられない。日記なんだからそんなこと気にしなければいいのだけど、それができればわざわざネットに書いたりしない。今はこんなものが1年分積み上げられたからって何になるのかと思っている。人の話を聞くべきなのかもしれない。そう、ここまでやってきて間違いなく財産になっているのはコンスタントな読者がいることだ。読者の話を聞いてみよう。ユーチューバーだってコメント機能がなくて再生数のグラフとにらめっこしているだけだったら気が持たないだろう。読者の言葉が書き続けることのダイレクトな支えになるのだとしたらそれはやっぱりすごく面白いことかもしれない。そういえば日記を始めたときにぼんやり考えていたのは、なぜユーチューバーは毎日投稿して初めて一人前と認められるのかということだった。すごく残酷な不文律だけど、そういう犠牲のありかたが書くことと生きることの関係に何をもたらすのかはまだよくわかっていないし、何かある気はする。

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5月18日

 朝10時頃に宅配のピンポンで目が覚めたのだけど、どうにも眠たくてベッドに戻ってきたらもう2時で、昨夜寝たのも2時頃だったから12時間くらい寝たことになる。コンビニまで出てパンとカフェラテを買って食べて、もう始まっている頭のなかの推敲が嫌になってそれを動画で紛らわせて、やっと日付をタイプした。

 進まないと言っていた原稿もなんだかんだで終わりが見えてきて、本屋に寄って最近ちくま学芸文庫に入った北澤憲昭『眼の神殿』と、ちくまプリマー新書の中村桃子『「自分らしさ」と日本語』を買った。帰って交互にぱらぱら読みながら、そういえば70年代以降の哲学と芸術学を貫く指標論への着目とコンセプチュアルアートの同時代性には何かがあるのかもしれないと思った。美術との並行性まで収めるとスケールが大きすぎるがリオタール、クリプキ、クラウスの接続は論文にしてみるべきかもしれない。とりあえず「指差す言葉」というタイトルが思いつく。本はもちろんそれ自体のうちにいろいろあるんだけど、指圧や灸みたいにふだん刺激されない場所を押されて、本に向けた意識的な関心とも本の内容とも関係ないものが出てくることがある。そういうのはなかなか言葉にならないけど、手応えのあるアイデアはそういうことの積み重ねでいつの間にかできていることが多いと思う。

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5月17日

 夢。海の方から戻ってきた人にどうでしたかと聞くと砂浜がなかったと言うので、堤防に色分けしたシールを貼ってこちらから向こうが砂浜かどうかわかるようにすればいいのにと言った。地元も大阪も横浜も、今まで住んだところはどこも海は近いが砂浜は遠かった。横浜のポストカード的にティピカルな表象は海からみなとみらいを眺めて、観覧車や三日月形のインターコンチネンタル、ランドマークタワーの向こうに不自然に拡大された富士山が写っているものだ。実際そういうポストカードをたくさん見つけて、面白がってひとつ買ったが引っ越しのときに捨てた。荒波に船がのけぞっている有名な北斎の絵は横浜の本牧から描いたらしいが、波間にちょこんと見えるこの富士山の方が現実味がある。しかしあのポストカードは自身が海辺にあり、かつすぐ向こうは富士山であることを示すことによって横浜以西には関東が存在しないことにしようとしているかのようだ。東京をフレーム外に追いやり、富士山までの距離を圧殺することで。シンボルがないから外から閉じることでしかこの街はセルフイメージを作れないのかもしれない。その写真の撮影地点にあたる方角を陸側から眺めると狭い海が大黒埠頭の工場群と高速道路で囲われている。

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5月16日

 隣家の屋根に飛んでいった洗濯物を物干し竿で釣り上げたり、おばあさんに道を教えたりした。原稿がなかなか進まない。批判的な内容を書くのはものすごい負担だ。今まで書いたのだと貝島桃代がキュレーションをしたヴァネチアビエンナーレ国際建築展日本館の批評と、廣瀬純の『眼がスクリーンになるとき』書評への反論が批判が主目的になっている文章だった。前者は小さな炎上と言えるような反応があって、どの炎上もそうであるように議論の内容ではなくたんに貝島ないしアトリエワンを批判したということへの過剰な反応があった。擁護してくれた人もたくさんいたけど、個々人への興味は別として総体として建築は怖いなと思った。読み返してみても何がそんなに引っかかるのかわからない。書評リプライの方はなんでこんなのが学会誌に載ってしまったんだというほどのめちゃくちゃな書評だったので、ほとんど義務感で書いた。読んで、落ち着いて、学会にメールしてウェブのニューズレターに反論を書かせてくれと頼んで、書いた。すごい負担だ。どちらのケースも批判した当人からの応答はなかった。それでいいと思う。医者だって誰かの患者になるように、批判対象ですら読むときはひとりの読者だ。他の読者と同じように勝手に読んで勝手に引き受けるなり無視するなりすればいい。

 そう、それで、原稿がなかなか進まない。これだけ日記を書いているんだから締め切りを延ばしてくれればいいのに。

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5月15日

 夜。煙草が切れたのでコンビニまで出て、冷たくて甘いカフェラテも買う。ブラスチックのコップにビニールの蓋が貼り付けられていて、ストローで穴を2箇所開ける。この方が吸いやすい。外で飲み物を飲むのが好きで、家で飲むものも店を出たらすぐ開けて飲み始めてしまう。大阪にいたとき、アパートの1階に住んでいて、家の鍵を全く閉めていなかったのもありすぐ近くのコンビニがほとんど家の冷蔵庫みたいだった。サンダルをつっかけて出て煙草とコーラの500ミリリットルの缶を買って飲みながら戻る。後ろ手にドアが閉まるときにはもう一人掛けのソファに座っている。サイドテーブルには読みかけの本があって、窓から遠くの高速道路を踏みしめるトラックの音がさーっと聞こえる。バイトは夕方からなのでいくらでも夜更かしできる。淀川を渡って梅田まで歩いて帰ってくることだってできる。朝までやっている堂山の喫茶店に行って本を読んで、シャツを出して怠そうに歩くホストを追い抜いて始発で帰ってくる。家の中の方が暗くなっていて、風呂は起きてからでいいやとベッドに入るとドアが閉まる音がした。

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5月14日

 喋りがちな日。目黒の出版社まで打ち合わせに来て、編集者相手にブレスト的に書こうと思っていること、原稿には書けないけど話すと通りのいい前提にしている事情とかを話した。聞きながらそのつど自分の言葉で言い換えて確認してくれるのでとても話しやすかった。原稿の打ち合わせとしては正しいあり方なのかもしれないけど、なんだか喋りっぱなしで申し訳なかったなと思いながら勝手が分からず入るのに苦労したオフィスビルを出た。目黒。お腹が減ってはいるが街の感じが気に入らず何も食べたくないのでそのまま神楽坂に向かった。迫鉄平さん(以前書いた個展レビューグループ展レビュー)の個展をやっているスプラウト・キュレーションに入ると、いちど原稿を頼まれたことのあるギャラリストさんに噂をすればだと言われた。そこにいた若い人が向き直って名刺をくれて、誰々さんからよく話を聞いていますと言われたが、その誰々さんには会ったことがないと思うと言って変な感じになった。博論出されたんですねとか、日記読んでますとか言われたのでお礼をして、その人は帰っていった。展示はDMがとてもカッコよくてもともと期待していたのだけど、やはり素晴らしかった。彼がここ1年ほどTumblrに毎日10枚ずつ投稿している散歩中のスナップをもとにした作品が中心となっている。この日記を始めたときから勝手に彼のTumblrを意識していて、毎日感心していたのだけど、そういう広い意味で日記的な実践の展開のしかたとしてとても刺激を受けた。ギャラリストさんにとても面白かったですと言って、もうちょっと何か言った方がいいのかなと思ってひとしきり批評っぽいことを言った。駅に戻る長い坂で少し荒れた鼻息をマスク越しに聞きながら、今日は喋りすぎたなと思った。酸欠で少し頭痛がする。駅の自販機でポカリを買って飲みながら帰った。

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5月13日

 午前4時25分。また寝る時間がめちゃめちゃになってきている。もう明るくなり始めている。これから寝て起きて日記を書いたらもうほとんど夕方でということを考えると憂鬱になってきたので、書いて寝ることにした。夜、彼女と行ったまいばすけっとで見かけた滅多に食べないビーフジャーキーをなんとなく買ってみた。Mr. Beef Jerkyという名前で、それを齧りながらビーフジャーキーを売るならどんな名前にするかという話をした。「牛ガム」と言うとそれになった。

 なんだかその日あったこと、その日思い出したこと、その日考えたこと、日記あるいはサイトについて考えたことの4つくらいのモードのあいだで、なんとなくバランスを取ろうとしていることに最近気がついた。それがいいのか悪いのかわからない。とにかく腹が立つとかとにかく悲しいとか、あるいはほとんど何を言っているのかわからないとか、日記はそういう過剰さも受け入れるものではあると思うのだけど、それにしたってきっかけは必要だ。しかし日記的なきっかけのよさはそのトリビアルなところにあるとも言えるし、やはりいいのか悪いのかわからない。それにこうして毎日書いてそれなりに読まれて、そのことにエンゲージしていくことがいいのか悪いのかもわからない。そのつど浮かぶ打算や意義は次の週には忘れている。でもその日も書くわけで、その容赦なさ、自分が追い付く頃にはもう書いているという感じは新鮮で面白い。

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5月12日

 サイトのトラフィックが上がったからといって何があるわけでもないのだけど、わりと気にしていて、毎日棒グラフを眺めている。昨日は日記掲示板への投稿が200を超えたことをツイートしたら結構反応があって、それでだいぶ伸びていた。それを受けてちらほら雑な投稿もあったが放っておく。どうせ続かないだろう。日記掲示板がいいなと思うのは、雑な投稿はもとより誰も相手をしないので詮ないとすぐ気づくだろうし、逆にそれなりにちゃんと続けると、ここでやるより自分で場所を作って外で通用する名前でやりたいと思うだろうということだ。投稿者だけでなく閲覧者の数も数日で落ち着くだろう。何もなくただ日記を更新しているだけだと下方でスタックするので、新規と常連のエコノミーが崩れない程度に日記の更新通知がリツイートされたりすればいい。お店みたいだけど、サイトをやり始めて気づいたのは「バックヤード」があることの楽しさだ。Twitterやnoteの設定画面もバックヤードと言えばそうなのだけど、WordPressのダッシュボードで背景の色を調節したり、SNSでの更新通知を自動化したり、検索窓を設置したりトラフィックをチェックしたりして自分で作っている感覚はそこにはない。SNSはバックヤードがないし、原稿仕事は店頭が自分のものではない。そしてこれもやりたければWordPressインストール機能つきのサービスでサーバーを借りてドメインを取得すれば月額1000円くらいですぐにできる。稼ぎたければ購読機能のプラグインを付ければいい。自分でやればいい。あらゆる関係は「次から自分でできるように」するためにある。そういえばトランプも個人サイトを作ったらしい。このところで最も愉快なニュースだった。

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5月11日

 朝名古屋まで新幹線で行って在来線に乗り換えて春日井で降りて展示を見て、名古屋に戻って7時には新横浜に着いた。名古屋では喫煙所まで出て煙草を吸っただけで何もしなかった。昼は春日井で見つけたインド・ネパール料理屋でカレーのセットを食べた。しょっぱいだけであんまり美味しくなかったが、誰もいない薄暗い店から外の景色を見ているだけで結構満足した。○と書いて「えん」と読む居酒屋とか、ミカドという潰れたパチンコ屋とか、そういうあらゆる日本の地方の街にありそうなものがある。名古屋は(春日井市は名古屋市ではないがともかく)外から開いてるか閉まってるかわからない薄暗い店が多い気がする。本山ゆかりの個展「コインはふたつあるから鳴る」は素晴らしくて、それもあって横浜にとんぼ帰りすることに躊躇はなかった。絵じゃないものが絵になるときの驚きがあって、それが今まで描かれていなかったものを描く(風景画の誕生みたいな)ということではなく、そっけない素材(アクリル板にアクリル絵の具、布、ロープ)とタイトルそのままのあっけない画題(花、石、山、果物)によって生み出されていてマジカルな感じがした。アクリル板の裏に塗られた絵の具の掠れに透ける壁、内側に薄い綿を挟んでミシンで描かれた線が生み出すシワ、ひと筆書き的に目でなぞるロープの線のしなりをいつの間にか絵として見ている。腰より低いところに作られた横木の上に載せ壁に直接立てかけられた板の裏で絵の具は滴り、いずれも釘で留められた布とロープはたわんでいる。「画鋲を抜いて剥がれたらそれは写真」という文章を書いたことがあるが、絵画は架けることと落ちることのあいだにある気がする。床に置いて描いたものを壁に架けるポロック、ラウシェンバーグ的な迫り上がりの感覚とも違って、本山の作品は架けたそばからもうわずかに落ちている。

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