6月20日

 絵画論のゲラ直しが終わった。6000字ほどで、来月頭に出る『美術手帖』に載る予定。これまで絵画についてはリー・キットと五月女哲平についてそれぞれ文章を書いていて、どちらも絵画論としてはなんか変だなと思っていて——作品が変だからなのだが——その変さが何なのか、どういう意味があるのかについてある程度考えが進んでよかった。去年書いた「ポシブル、パサブル」もそうだったけどひとつの文章になかば無理やりいろいろ突っ込む実験も兼ねていて、それは哲学研究的な固有名の重さや字数あたりのトピックの狭さから逃れる練習でもある。でもやっぱりそれと引き換えに——そのおかげで?——これはもうちょっと踏み込みたいというところも出てきて、とくに今回取り上げたクラウスの指標論については哲学の文脈であらためて考えたい。そういえば『エスの系譜』っていう本があったけど最初らへんしか読んでいないなと思って今アマゾンのページを見たら一人称が「評者」のレビュアーがいて笑ってしまった。「評者にはその点が物足りなく感じられ、やや退屈な印象を受けました」。書かれた側はたまったもんじゃないが、こういうのを見ると元気が出る。アマゾンのレビュー記入欄をクリックして一人称を「評者」にして文章を書くって自分じゃ絶対思いつかないことだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記