7月30日

 横浜駅まで出てきて、美容院で髪を切って、ドトールに入って書いている。明日から2週間くらい横浜を離れるので、昨日近所のPCR検査所に行った。他のテナントはすべて性風俗店のビルの1階にあって、どんな街やねんと思いながら見ると数十メートル先に移転したと張り紙があって、そこもこないだまで入り口にこれみよがしに大きく18禁のマークがあった店の居抜きだった。外で順番を待っているらしい曖昧な人だかりができていて、並んでいる様子ではないので中で受付を先にするのかと思って奥に入っていくと密になるので出てくれと言われた。密になりますので外でお待ちください。待つと言ったって受付をしないと待っててもしょうがないわけでという困惑と、密になりますという言葉の、その人が言っているわけではない感じとのあいだで静止していると彼女が他のお客さんから入り口横の壁に貼られたQRコードから受付をするらしいと聞きつけてきた。外でGoogleフォームに入力して横のタイムズで煙草を吸った。呼ばれてストローと容器を渡される。みんな住民票の請求用紙を書くみたいに、あるいはサービスエリアの男子トイレみたいに壁際のブースに向かっている。唾液を持って並んでいると領収書くださいと言うのが私服の女性ばかりだったので、お店で義務付けられているのかなと思った。

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7月29日

 布団に入ってドゥルーズ本のことを考えていて、全体の方向性をどう説明するかということについてのアイデアがふたつ浮かんで、携帯を取り出してメモするべきかと思ったけどこれはさすがに忘れないだろうと思ってそのまま寝た。ちゃんと思い出せて安心したが、やっぱり思いついたときのこれはという感じは色あせている。まあ使うかもしれない。ひとつはドゥルーズが哲学的著作と批評的著作を行ったり来たりする(冊数の割合としては5対3くらいじゃないか)ことについて考えていて、序論でこのことの意味づけをどうやってラフに、本論のとっかかりとして示すかということだ。それについてのイメージをiPadでメモしてみて、やっぱり図は詐術的なところがどうしても入るなと思った。あくまでとっかかりとしては使えるかもしれない。

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7月28日

 うなぎの「う」の字がうなぎになっている旗をたくさん見た。

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【お知らせ】『美術手帖』の絵画論と『webちくま』の読書エッセイ

 お知らせも使わなければと思い。サイトを始めた頃は9割以上ツイッターからのアクセスだったけど、最近はブラウザから直接来てくれる人も増えているのでこのサイトだけでまとまった情報が見られるようにしておいたほうがいいだろう。

 ということで最近書いたものがふたつ。ひとつめは『美術手帖』8月号に書いた「ジャンルは何のために?——絵画の場合」という絵画論。千葉正也、ロザリンド・クラウス、本山ゆかりを取り上げて絵画とその外の接面について考えた文章です。出て数週間経つけどまったく評判を聞かない。読んでほしいとしか言えないのが歯痒いですが。

 ふたつめは今日公開されたwebちくまの読書エッセイ。このサイトで書いている日記のスピンオフ的なかたちで滝口悠生の『長い一日』という長編について書いています。支離滅裂とは言わないまでも低徊気味の文章で、こういう成り立ち方もあるのかと書いてみて新鮮でした。記事も小説もぜひ読んでみてください。

 総じて、単発の仕事でちくちくやっていれば何かやっている風になるのも今年いっぱい持つかどうかだなあと思う。去年も博論を書き上げるのに苦労したけど、今年はそれを本にするのに費やされることになるだろう。2年も人に見えないところでひとつのものを仕上げるのは結構大変だ。多作な人を見て焦ったりする。手軽にアテンションを稼げそうな話題がごろごろ転がっている。そういうのを無視して日記を書いていると今度はノンポリでアンニュイな「そういう人」みたいになっているんじゃないかという気もしてくる。まあやるしかないのだ。 JUST DO IT. 馬鹿にできない言葉だ。

7月27日

 LINEが来たと思ったらヤマト運輸で、ネットで注文した服が明日届くということだった。その通知から日時を指定することができる。こういうときいつも、早寝早起きできるようにと祈りを込めて「午前中」にしてしまう。まあ起きてるだろうと、寝てても目覚まし代わりになるしと。散歩をした。大通公園の大きい木立が雨のように鳴っている。そういえば台風は逸れたようだ。結局明るくなるまで起きていて、好きなだけ寝ようと日時を夜に再指定した。反映が間に合わなかったのかチャイムで起こされて寝ぼけたまま受け取って、またすぐに寝た。

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7月26日

 台風が近づいているので、雨が降っている。夜に散歩をしながら初めてツイッターのスペース機能を使ってみた。音声を配信できて、リクエストをした聞き手が参加できる。なんだかんだで2時間半くらい喋っていた。コメントもアーカイブもないので、ほとんどただの通話サービスだ。そろそろ終わろうと家に向かって歩いていると小雨が降ってきた。シャワーを浴びてお菓子を食べた。昨日買ったジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲンの『アメリカを作った思想』が面白くて半分くらいまで読んで、やっと南北戦争が終わったあたりまできた。『一九世紀の女性』という本を書いたマーガレット・フラーという人を初めて知って、引用されている彼女の「私が自分自身に与えられるまで、隠れていられる場所はどこか」という言葉が心に残った。「私」が与えられる前に見つかるわけにもいかず、「私」を与えるためにこそ書かねばならないというのはどういう気持ちなんだろう。スペースで日記に私的なことを書くことについて話した直後だったのもあって、どこか他人事とは思えないような、でもそうそう容易くそうは言えないような複雑な気持ちになった。

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7月25日

 本屋に行って3冊本を買って帰ったら玄関先に3冊本が届いていた。アマゾンはどうやってかオートロックを開けて入ってくる。在宅の他の部屋に届けたついでに置いているんだろうか。手付かずの本が机に6冊。今はちょっとした端境期なのでちょうどいい。次々手に取ってしばらく読んで取り替えてと繰り返していると、もっぱら読むばかりで文章なんて書いていなかったときの気分が還ってくるかのようだ。書くものもなく、読んだものについて喋る相手もおらず、ただひたすら読んでいたそういう自分に応える仕事がしたい。

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7月24日

 ステンレスの、側面が二重でその内側が真空になったタンブラーが一日中机にあって、コーヒーを入れて洗ってコーヒーを入れというのを繰り返している。相変わらずペリエのピンクグレープフルーツフレーバーも箱買いして毎日1本くらい飲んでいる。飲み物への執着が強いと思う。無糖の午後の紅茶の大きいボトルがあったので、タンブラーに注いでペリエで割って飲んでみたら美味しかった。いまウィルキンソンの桃フレーバーも出ているし、そういうので割ってみてもいいかもしれない。割らずにレモン汁を垂らすだけでもいいかもしれない。ミントとかがあるといいかもしれない。

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7月23日

 もう2ヶ月くらい友達と会っても喋ってもない。くろそーはSNSをやめて去年末くらいから引っ込みがちになっていて、春に会ったときに物理的に距離が遠いところにいる人のことを気にかけるのが難しくなってきたというようなことを言っていた。一昨年も冬は元気がなさそうだったから季節的なものなんじゃないかと思っていたけど、今ならそういう気分がわかる気がする。彼は何かを察知するのがとても早くて、だいぶあとになってからそういえばこんなこと言っていたなと思うことがよくある。その早さに仕事——いわゆる仕事だ——が追いついていない感じもあるが、当人の努力でどうこうなる話でもないし難しいところだなと思う。そういう早さの受け皿はどうやったら作れるんだろう。でも思えば、もうコレクティブみたいなものでごまかせる時期は過ぎていて、結局それぞれでやっていくしかないと思う、集まる意味が生まれるとしたらそのあとでのことだと彼に言ったのは僕だった。気持ち悪い話だが、この気持ち悪さの居場所がなくなったら本当に終わりだなと思う。

 

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7月22日

 2日締め切りを延ばしてもらってなんとか読書エッセイを書き終えた。方向性が定まらないまま字数ばかり増えていき、これはいけないと頭から書きなおしたりしてみたのだけどなんだか腑抜けた感じで、結局長さは気にしないことにして最初のものをそのまま書き進めた。相変わらず低徊気味な文章だったが、あるとき不意に、これが最後の段落になるなと気づいてその段落を書いて、遡ってちょっとだけ全体を手入れして終わらせた。不思議な感覚だった。結局1200字と言われていたのが2600字になったけど、ウェブ記事だからなんとかなるだろう。

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