7月19日

 真夜中、というかもう未明。まだこの静かな時間に起きていたくて、お湯を沸かして熱いコーヒーを淹れる。一回めのお湯で粉を蒸らしているあいだに片足を前に出して、もう片足を曲げながら上体を倒して腿の裏を伸ばす。ハムストリング。この筋肉の名前が思い浮かぶといつも小学校のときのサッカークラブの三宅コーチを思い出す。三つ上の三宅くんのお父さんで、三宅くんが卒業してもコーチをしていた。どこかの小学校だか中学校だかの先生で、毎週練習後にテクニックや練習方法をまとめたプリントを配っていて、次の週にそれについてのコメントや個人練習について書いた短い文章を提出させられた。当時はただただ面倒だったが、いま思えばものすごく熱心なコーチだ。お金がもらえるわけでもないのに。その三宅コーチがいつかハムストリングが大事なんだと言って、片足を段差に上げて踵をついて伸ばしていたのを妙に覚えている。彼の指導で覚えているのはそれだけだ。サッカーはその後のことも含めて決していい選手じゃなかったが少なくともまだこうしてハムストリングを伸ばしている。そういえば岡山は三宅姓が多い、と思って、阪大にいたときの指導教員の三宅先生も岡山出身だったことを思い出した。彼は学生時代、岡山大学の法学部哲学科でサルトルの研究をしていたらしい。40年前の岡山大学の法学部でサルトルを読むというのはどういう感じだったのだろうか。当時はそんなことを聞こうとも思わなかった。彼と最後に話したのは3年前に『眼がスクリーンになるとき』が出て、いろいろあってあの修論が本になりました、ぜひお送りしたいので住所を教えてください——僕の修了と同時に彼も退職したので大学には送れない——と電話したときだった。そのあと彼のところによく出入りしていた社会人学生の人にどこかの学会で会って、三宅先生変な本だって言って喜んでましたよと教えてくれた。退職後も大学で『意味の論理学』の読書会をしているらしい。学部2年、彼の授業で初めて出たのが『意味の論理学』の原文講読だった。その授業は第8セリー(この本は章をセリーと呼ぶ)まで行って学期が終わり、また第1セリーから読む読書会をしたと思ったら時期が空いたり人が入れ替わったり『差異と反復』に切り替えたりでまた初めからになりというのを僕がいるあいだも繰り返していた。その読書会いま第何セリーですかと聞くと第4セリーだと教えてくれた。元気にされているだろうか。僕もまだ同じ本ばかり読んでいる。

 コーヒーを持っていつものエディタを開いた。今日で日記を始めて丸半年だ。冬があって春があった。博論の審査があって、引っ越しをして、中くらいの原稿を三つ書いた。もうそれくらいのことしか思い出せないし、これは思い出しているとは言えない。

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カテゴリー: 日記