9月22日

荒木悠さんの個展をαMで見た。「約束の凝集」のvol. 4。作品の外に重心がある感じが独特だと思う。《Eclipse》は蜘蛛の糸にぶら下がった小石とその下に添えられた手を撮影した映像作品。風にかすかに揺れる小石の落下に備えるように手が動く。蜘蛛の糸はたまに光の加減で反射して見えるくらいで、手が石を浮かせているように作ったCGみたいにも見える。手首から先と5ミリほどの小さな石だけが映っていて、背景は完全にぼやけているので実際そういう非現実的な感じがある。蜘蛛の糸は巣に繋がっているはずで、手は胴体に繋がっている。同じように、映像はカメラで撮影され、プロジェクターで投影されている。作品の外にあり、作品を成立させるものであるそれらが等価になること、同じようなことだと思えることの偶然と、それらが外へと切り離され作品がひとつのものになることが同時に起こっている。偶然をテーマにしているとだけ言うと、たとえば作家と同姓同名の美容師に作品に関わってもらうこと(他の展示作品の話)なども明け透けな感じがしてしまうだろう。それがたんなる偶然以上のものになるためには、それを見る者にまで乱反射させつつコントロールしないといけない。《Eclipse》の映像はフレームが黒くぼかされていて、暗闇に釣られたスクリーンの四辺がカチッと浮かび上がらないようにされていた。たとえばこれが端のブラーもなくディスプレイで上映されれば、ぼやけた背景から画面の端へ、そしてスクリーンの外の、われわれ鑑賞者がいる暗闇へとなめらかに繋がるグラデーションがなくなるので、作品の奥行きはとたんに圧縮されてしまうだろう。

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カテゴリー: 日記