10月22日

ものすごく寒かったし、3時くらいに起きたのですぐ日が暮れた。こないだ友人の家に遊びに行って『ドライブ・マイ・カー』の話になって、いま村上春樹をデビュー作から順に読んでいて次は『ノルウェイの森』なんだけど、読むのが辛いですと言うと英語で読んでみたらと言われた。たぶん彼は辛いというのをたくさん読むのが大変だという意味で受け取って、英語にして気分を変えたらと言ってくれたのだと思うけど、僕はたんに『ノルウェイの森』が悲しい話で読むと絶対落ち込むから辛いと言ったのだった。でもそれもいいなと思ってキンドルで英訳を買って読んでいる。

それでいま半分くらいまで読んだ。原書だとちょうど下巻に切り替わるあたり。たぶん初めてこの小説を読んだ中学生のときと同じくらいのスピードで読んでいる。先日読み返した『世界の終わりと〜』は3日くらいで読み切ってしまったし、どうして日本語を読むのがこんなに速くなってしまったんだろう。英語でどこまでが独自の比喩でどこからが慣用句なのかわからなくなりながらつっかえつっかえ読むほうがふさわしい感じがして不思議だ。

分厚い靴下に分厚いスリッパを履いて、脚に毛布をかけて真夜中に読んでいると、それにしても僕は何をしているんだろうと思った。この小説はいろんな言語に翻訳されて、それぞれの地域で多くの人に読まれている。それは村上が文壇の潮流に背を向けて、自分の文体と自分のナラティブを作ることに注力した結果だ。作品が自分の足で立っているから業界的な論理や土着的なものの外で読まれるものになる。それに比べて哲学や批評は、まず論ずる固有名や主題の社会的価値に寄りかかっているし、書き方のレベルでも書き手の供給のレベルでも、寄りかかれるものはたくさんある。いままで僕はそういうところでぬくぬくとやってきたのだと思う。生活費が稼げて定期的に原稿依頼が来て個人事業主として成立すれば自立だと思っていたが、そんなのはまったくの間違いなのだ。その点この日記は初めてひとりでやっている。「自分の足で立っている」と言えるような一貫性はぜんぜんないのだけど。でもそれは日記にとっては弱みでもなんでもない。

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カテゴリー: 日記