10月20日

今日で日記を初めて丸9ヶ月。手を抜こうと思えばいくらでも抜けるし、頑張ろうと思えばいくらでも頑張れる。初めの何ヶ月かはその塩梅がわからず、というか、そこに塩梅という観念が存在することにうまく馴染めず、頑張ったのに反応がないとか、手を抜いて恥ずかしいとか、そういうことばかり考えていた。それがすっかりなくなったわけでもないが、日々のサイズ感を楽しむという視点も育ってきたと思う。正直に書くことと事実を書くことが相容れないこともある。それは正直に書いているうちに小説になってしまうこともあるということで、そういう感じはここまで続けてきてはっきりとわかるようになってきた。でもこれは日記で、その相容れなさは振り切ることのできない条件としてあるし、だからこそ日々にしがみついたり振り落とされたりする生活の楽しさと脆さが書けるのだと思う。あと3ヶ月。たまにもっと続けてほしいと言ってもらえることがあるが、収まるところに収まってもつまらないので少なくとも毎日日記を書くということは1年きっかりでやめる。ちなみに今日はなるべく手を抜こうと思ったら思いのほかハネたというパターン。

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10月19日

昨日の続きで批評について。とりわけインスタレーション・アート的な側面の強い現代美術の展示においては、作品−空間−私の関係を構築することが鑑賞の一部になっており、初手から作品と私の正面切った鑑賞が用意されているわけではない。もちろんあらゆる展評が作品の配置や展示手法を議論に組み込まなければならないということではない。あらかじめ切り取られた作品の稠密な分析があってもいいし、あらかじめ言説化された展示の主題の社会的政治的な意義の評価があってもいい。しかしそれで批評はどこにいくのか?というのが僕の問題意識だと思う。

すでに公的に縁取られた作品の高度な分析は論文でやればいいし、すでに公的にセットアップされた問題の議論はツイッターの高速回転に任せればいい(というかもうそうなっている)。対象に居着いても社会に居着いても、公共という価値を笠に着ていることに変わりはないし、それで批評は「批評空間」を形成し空間のほうはつねに比喩化されることになる。同じことの繰り返しだ。そしてこの繰り返しのなかで絶えず保護されているのが批評家の超越的なポジションであって——これは極めて実際的な問題であり、試写に呼ばれたりソフト化されていない作品のDVDやらYouTubeの限定公開リンクやらを送られたりなどの特権的なアクセシビリティとしてある——それが一方でファンダムから忌み嫌われ、他方で誰もが批評家として振る舞うのはある意味で当然のことだ。ビジネスクラスの乗客がゲートをくぐるのを遅々として進まない列から眺めることなんて誰も望まないし、スクショして嫌味を言えば誰でも批評家になれるのだから。ウロボロス的に正反対のことが互いをドライブしている。

しかしそもそも作品とは何か?という問いを「存在論」としてでなく具体的な物の配置から個別に問うことができるのが展評のアドバンテージで、つまり問いは、この空間はこれをどのように作品たらしめているのか/これが作品だとしてこの空間はどのような意味をもつのかという問いにスライドされる。必然的に対象に居着くことができないので、かえってそこからはみ出すものとしての私をどう動かすかということが文章に食い込んでくる。そうなればクライテリアは単純で、私を外に出してくれれば良い空間で、私を閉じ込めるならダメな空間だということになる(僕の美術批評はすべてこのクライテリアで批判/肯定が分かれていると思う。たとえば大岩雄典個展評大和田俊個展評)。

このときの「私」は実際の鑑賞経験そのものの担い手ではなく(エッセイを書いてもしょうがない)そこから人工的に演繹されるデコイであって、その「私」の出入りが風見鶏のようにリテラルな広がりの指標になる。理論や時評はその運動にくっついてくるものであって、そうして批評は「批評空間」からの出口を見つけることができるのだと思う。僕が批評が好きなのは、どんなジャンルでも書けるしそれ自体およそジャンルとは呼べないものだからだ。展評を梃子に批評のジャンルレスネスを考えてきたのだと思う。

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10月18日

急に寒くなった。今日は批評についてちょっと書こうと思う。といっても批評とは何かみたいな話をストレートにするのは大変なので、自分の話から始めてみる。今まで書いた批評の文章(書評含む)を数えてみると21個あって、そのうち11個が美術批評だった。大抵が依頼があって書いたものなので結果として多くなったという側面もあるし、そこには他のジャンルと比べて作品の受容と批評の受容の距離が近いという外在的な事情もあると思う。それも良し悪しだが、僕が美術(書き始めるまでとりたてて興味はなかった)について書くようになったのは、「展評」という形式が面白かったからだ。

去年書いた「ポシブル、パサブル」という長めの文章はインスタレーション論と言語論を組み合わせたものだけど、展評の面白さの振り返りでもあって、副題に「空間の批評」と付けようかなと思ったりもしていた。「批評空間」を作るより空間を批評するべきではという、いつものよくわからない怒りがきっかけにあった。初期東浩紀における「空間」の比喩化への批判もそこから来たものだった。「批評」がひとつの空間みたいなものを形成することと、空間が鉤括弧に入れられて比喩化することの相関への批判だ。コロナ禍の混乱がはっきりと社会を覆い始めていた時期でもあって、リテラルな空間はどこに行ったのか?という疑問があった。

批評の対象——本当はなんでもいいのだけどここでは作品ということにしよう——があって、批評がある。展評が特殊なのは、多くの場合作品が複数あることと、それが空間的に展開されており、鑑賞者によって鑑賞の空間的・時間的な経路が異なるということだ。2時間の映画を見るとか10万字の小説を読むとか、そういう定量的な「ひととおり」の鑑賞というものがない(極論すればどのジャンルもそうだが、それが顕著である)。そして現代美術の場合、作品と作品でないものの境界は鑑賞を通して思考される(たとえば展示手法は作品の一部か?)。つまり、対象−空間−私の関係は鑑賞行為を通して初めて明確になる、というか、その関係を構築することが鑑賞のひとつの要素になっている(作品の社会的意義とか展示のステートメントを梃子に展評を書くことは、そのことから目を背ける方便になる)。

このまま書くとなんだか倍くらいの長さになりそうだし、ここまで1時間くらいかかってしまったので続きはまた明日にする。批評がどうやって作品に出口を作るかということを書きたい(メモ)。

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10月17日

世田谷の友人宅でご飯を食べることになって家を出た。新宿で京王線に乗り換えるので紀伊國屋で久しぶりに大きい本屋をゆっくり見ようと思って早めに出たのだけど、車窓から見える渋谷、原宿あたりの人混みに辟易して池袋まで行くことにする。東口に出るとすぐ喫煙所がある。西武とパルコが壁のように並んでいる。ガラス張りの巨大ビルも交差点を包囲する壁面液晶もなく、どの建物も老いた象のようにくすんでいて、20年くらい前の新宿はこんな感じだったんだろうかと思う。南に折れてジュンク堂に入ったが、そんなに時間がないことに気がついて結局人文書と文庫のところだけ見て買った本を通りの向かいにある喫茶店で読んだ。喫煙ブースが笑ってしまうくらい小さくて頭の上に「ここに煙を吹きかけてください」というダーツの的みたいなものがある。たまに男性用小便器にも同じような目印が付いている。どこまでバカにされているんだと思いながら席に戻って、時間はないが急ぎたくなかったのでゆっくりしていたら遅れてしまった。

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10月16日

いくつか夢を見た。海岸みたいな湖畔みたいな場所で寝ていて、目が覚めると若い男女が横に立っていて、マスクを取り出そうとすると何かに引っかかって取れない。男の膝から腿の骨が斜め下に向かって今にも皮膚を突き破りそうに飛び出していて、紐がそこに引っかかっているのだ。男は菅原血清という名前のボクサーで、これから病院に行くところだという。紐を引っかけてしまったし、女と二人で彼の体を支えて付き添っていくことにする。斜めに地下に降りていく窓のないトロッコみたいなエレベーターに乗る。下側の壁に背をもたせかけて座ると、反対側の壁にアニメーションが投影されている。喫煙所はないだろうなと思いながらそれを見ている。テクニカラーみたいな厚みのない光の待合で女と座り、何か喋らなければとここは国立あたりになるんですかねと言うと笑われた。他の夢は忘れた。

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10月15日

漫然と過ごした一日で、とくに書くことがない。本棚をどうするかとか、椅子をどうするかとか、そういうことばかり考えていた。いずれにせよいらない本は捨ててしまおうと本棚を見渡して、雑誌ばかりの20冊と、途中やめになったノート数冊と、なんやかやの冊子を集めて縛って玄関に置いたのだけど、一向にスペースは広がらなかった。

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10月14日

『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』(鼠三部作)、『ウォーク・ドント・ラン』(村上龍との対談)、『カンガルー日和』、『中国行きのスロウ・ボート』、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』(短編集三つ)、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(長編)、『回転木馬のデッドヒート』(短編)と、網羅的とも言えないし短編の初出とかを考えると厳密に刊行順でもないが、ここ1週間ほどで村上春樹のデビュー(1979年)から6年ほどのあいだに書かれたものを順に読んだ。

村上春樹を読むというのは僕にとって、前に「精神的実家」に帰るようなことだと書いたが、それ以上退行しないための自前の岩(精神分析家が直面する分析のデッドロック)のようなものであって、物語がそのように機能するのはあらためて不思議なことだと思う。おそらくそうした機能は、春樹を読んで春樹について書くことはふさわしいことではない感じがするという危惧と深い繋がりがある。春樹を読んで春樹について書くより、春樹を読んでホテルマンになるとか、タクシー運転手になるとか、漁師になるとか、そういうことの方がずっとふさわしいことであるような気がする。これも不思議なことだ。

そしてこのふたつの不思議さはやはり1枚のコインの裏表で、退行は退行であって、春樹を読んで春樹について書くというのはあまりに容易にその退行への固着を招いてしまうことだと思う。もちろん、書くことで外に出るという考え方もある。でもそれはあくまでひとつのオプションであって、それをオプションに留めることの倫理を壊さずに書くというのは、やはりとても難しいことだと思う。

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10月13日

ベッドに横になってしばらくして、体が眠気で痺れてくる。「動かそうと思えば動かせる」と「動かせない」のあいだの緊張で手足が静止している。そう、このまま寝ればいいんだと、唯一まだ冴えている頭を無闇に動かさないようにする。とはいえロープに立って両手で皿回しをするような複雑なバランスが要求される局面は一瞬のことで、そこを抜ければもう眠っているし、べつに寝返りを打ったって2時間も3時間も眠れないわけではないのだ。外から叫び声が聞こえてきた。最初どこかの犬がわめいているのかと思ったが、その声がだんだん近づいてきて「嫌だ!嫌だ!」という男の叫び声に変わった。よっぽど起きて外を覗こうかと思ったが、温かい蝋で塗り固められたように体が動かなかい。耳を澄ませて声が止んだのを聴き届けて眠った。

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10月12日

秋が来た。こないだ買ったパーカーをおろして出かける。生地の重さが心地いい。岡田拓郎のMorning Sunを聴きながら歩いて、喫茶店で作業したり本を読んだりした。隣に女性二人が座ってそれぞれ電話していて、片方はシュークリームをシュウマイに変えてくれという話をして、もう片方はストレスで爪剥いじゃったから小さいスカルプしかできないという話をしていた。豆腐と茗荷を買って帰ってそれで味噌汁を作って、カレイの干物を焼いて晩ご飯にした。

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10月11日

事務作業をまとめてやろうと思ったら、こんなときに限ってプリンターのインクが切れている。パソコンといろんな端子のハブとUSBメモリを持って珈琲館に行って印刷するべき書類を整える。原稿料の請求書と、科研費で買った書籍費の精算。原稿料の請求書はなんで書かなきゃいけないのかいつも謎だ。もともと言われていた原稿料から消費税が引かれることもあってそれはもっと謎だ。消費税?と思う。書類を揃えて、印刷するべきものをまとめたフォルダをUSBにコピーして、コンビニでプリントアウトして、A4用紙が入る封筒を買って家に戻って、ハンコを押すべき書類にハンコを押し、請求書は家のプリンターでスキャンしてメールで送り、科研費の書類は封筒に入れて郵便局に持って行った。お腹が空いたのでトマトを買って帰ってパスタを作って食べる。精算の申請をした本の証憑として1冊ずつ机に置いてぱしゃぱしゃと写真を撮って、グーグルドライブにまとめてリンクを送った。前々からレーザープリンターに切り替えたいと思っていたのでブラザーのモノクロプリンターとトナーのカートリッジをアマゾンで注文した。インクジェットはうんざりだ。しかし注文したプリンターにはスキャナーがついていない。これについては昔ながらのフラットベッドか本を裁断して自炊もするならシートフィードか、はたまた非破壊ブックスキャンに特化したオーバーヘッドなのか迷い始めたらキリがない。本棚を整理したいので裁断は辞さないし、非破壊で本をスキャンするときはコンビニに行けばいいとするとシートフィードだが、そうなると裁断機を買わないといけないし、これも見るとちゃんとしたものは3万円くらいする。ブラウザのタブばかりが増殖していく(アマゾン、価格ドットコム、ヨドバシ、メーカーサイト……)。金、紙、データ、金、紙、データ。もう!と思って考えるのをやめた。

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