11月29日

起きたら1時。彼女が自分の弁当を作るときに多めに作って置いていってくれて、それを昼ご飯に食べた。夕方になって、家に玉ねぎと人参と茄子があったので、茄子を入れたボロネーゼを作ることにしてスーパーに行った。玉ねぎとセロリと人参を刻んでしっかり炒めて、別の鍋で炒めた挽肉を加えて赤ワインとトマト缶とローリエを加えて煮込むあいだに洋梨と柿のサラダを作った。2人分の量で作ったのに4人分くらいできたのでソースを保存容器に取り分けておく。麺を茹でて、帰ってきた彼女と一緒に食べる。昔お母さんが日高シェフのレシピを見て作ってくれたのに似ていると言われて、図星だったのだが、それがなぜか恥ずかしくてへえと言って受け流した。風呂上がりに脚が乾燥で痒くなるようになって、クリームを塗っている。お腹が空いたのでコンビニでパンを買って食べながら作業をして歯を磨いて寝た。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月28日

「郵便的、宅配便的」というタイトルを思いついた。どういう内容なのかわからないままにタイトルだけ思いつくことがよくある。「理論の突き指」とか、「端末が「ターミナル」だった頃」とか。それはもちろん僕が考えていることと無関係ではないし、タイトルと一緒にある程度の方向性は浮かび上がるが、書いておかないと忘れるのでそのつど呟いたりするようにしている。最近で言えば「スパムとミームの対話篇」は依頼があって書き始める前にタイトルだけ思いついていて、そのお題に答えるようにして書いた。言葉遊びやパロディに圧縮されたものをどう具体的な文章として展開するかという、セルフ大喜利、あるいは自分の自由連想を自分で分析するみたいな感じで面白い。

それで、「郵便的、宅配便的」がどういう文章になりえるかというと、やはり郵便はポストに投函するものであり、宅配便は玄関先で手渡すものだという対立がまず思い浮かぶ。ポストとはデリダ的な「差延」の場、つまり現前的なコミュニケーションを毀損すると同時にそれなしには当のコミュニケーションが成立しない、不在の謂である。隔たっているからこそコミュニケーションが要請され、隔たっているからこそコミュニケーションは十全なものではありえない。それに対して宅配便は差延を許さない。チャイムを鳴らし、いなければ不在通知書をポストに入れて帰っていく。不在が不在としてマークされるのだ。郵便はいるかいないかということに頓着しないが、宅配便はいれば渡すし、いなければ私はそこにいました、しかしあなたはそこにいませんでしたと、不在を局在化させ、それ自体をコミュニケーションの明示的な要素にする。郵便的な不在はいつ・どこでなくなるかわからないという不確定性によって効果をもつが、宅配便的な不在は特定された不在として位置をもっている。

しかし、コロナ禍によってアマゾンやウーバーイーツが取り入れ、急速に一般化した「置き配」はこのうちいずれに分類すべきなのだろうか。一見それは受け取り手の在/不在に関与しない郵便的な仕組みに見えるが、アパートのドアのそばに置かれた荷物を見ると僕はいまだに不気味な感じがする。それはたんに、慣れ親しんだ宅配便的インフラが急に郵便的仕組みを取り入れたことからくる違和感なのだろうか。たしかにそういう部分もあるだろうが、それ以上のもの、つまり置き配的なものの固有性があるとしたらそれは何だろうか。

ひとつにはドアの外の床に箱が置かれているということからくる疎外感があると思う。投函でも手渡しでもなく、床に置かれている。印象としては、郵便的不在には自分がそこにいるかいないか不問にしてくれているという感じがあるのに対して、置き配的不在は自分がそこにいるかどうかはたんにどうでもよく、とにかく荷物を置いて帰っているという感じがある。逆に言えばこの「とにかく」の直接性を和らげるものとしてポストは機能するわけだ。郵便は受け取り手の在/不在をそれとなく不問に付すのに対して、置き配は受け取り手の在/不在以上にとにかく荷物を置いていくことが大事なんだとあからさまに示している。

ロジスティクスの全面化。あらゆるものが出発点、終着点、経路、荷物のアレンジメントの規格化・効率化に巻き込まれる(「コントラ・コンテナ」は大和田俊の個展の分析を通してそれに対する抵抗の可能性を探る文章だった)。私がいるのかいないのかということはそこにいささかも関与しない。郵便的なものの局所的な回復はありえるだろう。しかしコミュニケーションそのものがロジスティクスに置き換わってしまったような世界で、郵便というメタファーはあまりに危ういようにも思える。「コントラ・コンテナ」や「ポシブル、パサブル」の空間論はロジスティクスそのものから距離を取って空間を考えなおす文章だったのだろう。「いてもいなくてもよくなることについて」もそうだ。やはりたんに思いついたものでも掘ってみるといろいろ出てくる。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月27日

いまぼんやり考えていることで2年後くらいに実際に取り掛かっていそうなことがいくつかある。というか、2年後くらいに実際に取り掛かっていそうなことの妄想と、目先の作業とを行ったり来たりするタイムマシーンのようなものが自分のなかで育っていく感じがあり、それはこの仕事の楽しさのひとつだと思う。これは大和田さんから又聞きした話なのだけど、彫刻家の曽根裕さんは5年かかるプロジェクトと1時間で終わるプロジェクトとか、スケールの違う仕事を1日の作業のなかに意識的に混ぜているらしい。気分としてはよくわかる。ただ仕事柄僕の場合、先のプロジェクトについていまやれることが本を読むこととかメモを溜めるとかそういう間接的なことになりがちで、結局執筆という直接的な作業が神秘化されるというか、具体的な締め切りが与えられて初めて輪郭が立ち上がる執筆とそれ以前の準備との分割があまりに強くなってしまう。半面そのおかげでやる気が出る部分もあるが、その繰り返しばかりだと時間がサウナに入ったり出たりしているみたいなたんなる密度の波になってキツいということもあると思う。

その点この日記はそのつど準備も何もなく1年書いて、いまそれを本にしようという話をしていて、来年は書き溜めた日記を素材にこのサイトで少しずつ何か書いていって、それはそれでまたその次の年くらいに本になればいいなと思っている。散文が登場人物になったサーガのようなものだ。溜めたものを書くのではなく、切れ切れに書いたものが溜まって形をなしそれがまた別の文章を呼ぶ。昨日のことを思い出しながら、2年後のことを予期しながら。自分の書いたものに引用符を付ける必要はないので——もちろん場合によるが——読んで集めた素材とはまた違う。その意味でこの日記は初めて予備動作なく「たんに書いている」ものであると同時に、純粋に素材でもある。準備−執筆−締め切りのシャトルランの傍にこういう時間があると生活が豊かになった感じがする。仕事と生活のバッファのようなものだ。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月26日

前々から大和田俊と一緒に行こうと話していたのだが、その話が流れに流れて、2ヶ月くらい経ってようやく佐々木健の個展「合流点」を見に行くことになった。鎌倉のはずれにある彼の祖父母が住んでいた家で開催されている。鎌倉駅で待ち合わせをして、10分くらい遅れると大和田さんから連絡があって、オーケーですと言ったら僕が大船で乗り換えるべきところを通り過ぎていて20分くらい遅れた。駅の近くの食堂で昼ご飯を食べて、バスで10分ほど山に入ったところに会場がある。玄関の脇にある応接間と20畳ほどの居間とそれに沿った廊下とトイレ、たくさん花が咲いている庭のあちこちに絵画が展示され、それとは別に2階の二間が「常設展示室」になっている。展示の概要について作家の説明を引いておこう。

「神奈川県の障害者施設で殺傷事件発生の一報をタイムラインで見かけたあの日、兄が殺された可能性で目の前が真っ暗になった。徐々に明らかになる情報から施設は同県内の他の入所施設である事がわかったのだが、あの日、兄が殺されなかったのはいくつかの偶然が重なった結果に過ぎないという考えが消えることはないだろう。月日は流れ、繰り返し夏がやってくる。それまでに描いてきたあれこれと、それから描いているあれこれを神奈川県鎌倉市のはずれ、私たち兄弟の祖父母がかつて住んでいた古い民家と、庭と、絵画から成る展覧会というかたちで公開したいと思います。」(佐々木健のサイトより)

「合流点」とは、「いくつかの偶然が重なった結果」のことを指すのだろうか。それは最初、その脆さへの恐怖として画家を捉えたのだろう。その恐怖の経験は居間の奥側に設置された《相模川》と《観覧車》によって再構成されている。このふたつの絵画には、津久井やまゆり園がある場所からそれぞれ西と南を眺めた風景が描かれており、その位置関係が展示によって再現されている。つまり絵の「こちら側」がやまゆり園に相当する場所となるのだが、会場に掲示された作家のテクストは、近代絵画が「崇高」を見出した風景のうちに障害者が不可視化され置き去りにされてきたのではないかと問うている。

しかしその問いは作家自身に向けられたものでもあり、兄が収集した10円玉や電球を描き、兄の描(書)いた路線図や計算式をキャンバスに模写すること、そしてそれをいま「絵画」と呼び、ここに展示することは、絵画を通して家族の営みの「合流点」として家を捉え返そうとする実践だと感じた。応接間には兄弟の母が施設のスタッフのために作った、兄の性格や好きなもの、嫌いなものが書かれたノートや彼が書いた楽譜や宿題の日記が綴じられたファイルが置かれていて、ブラウン管のテレビからは父が80年代に撮影した兄弟の子供時代のビデオが流れている。ソファに腰掛けてファイルを読んでいるとエプロンを着けた佐々木さんがお茶を出してくれて、庭ではお母さんが水やりをしていた。僕はたまたま居間を見ながら応接間が空くのを待っていたが、いちおうの順序としては応接間を見てから居間を見るわけで、こうして恐怖からの想起による恢復というストーリーをこの展示に見るのは、間違いではないにせよあまりに一面的かもしれないと思った。そのふたつは切り離せないだろう。それが「合流点」なのかもしれない。私はあまりに弁証法的だろうか。うまくその場で感想が言えなかった。僕はあまりに弁証法的でしょうかと聞くわけにもいかない。すごくよかったですと言って、絵の具のこととか設営のこととか、細かい話を聞いた。トイレを借りると壁にお兄さんが描かれた信号機の絵を模写したものが掛けられていた。柱には相田みつをの日めくりカレンダーが掛かっていて、11月24日になっていた。お兄さんが来るたびにめくっているらしい。

番外編。大和田さんが人と喋っているのを聞くと面白い。自分のことについて話すときに「〜をどう考えるかってことを考えてるんだなって思った」としきりに言っていて、頭がいいのも考えものだなと思った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月25日

本といえば本文用紙の集積を硬い表紙と裏表紙で挟み込んだものだが、たとえば卓上カレンダーには裏表紙がなく、1ページぶんの硬い表紙がそのままスタンドになっている。そして本が180度の見開きをひとつの単位としているのに対して、卓上カレンダーは360度回転で1ページずつ表示することを想定している。しかも最初を表1とすればめくると表3が出てくるので、ものによっては表1→表3→表1で最後までめくって反対方向からこんどは表4→表2→表4と進む場合もある。本は180度で左右に開くのでぱらぱらとページをめくりやすく、上下に360度めくる卓上カレンダーは、めくる行為をいちど限りのものもして考えている感じがある。日記本のことを考えていた。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月24日

昼過ぎに起きて、コンビニのパンを食べて、スーパーに買い物に行った。ご飯をセットして、柿と洋梨と野菜のサラダと、ビーフカレーを作った。いつだかもらって、飲まないので置きっぱなしになっていた赤ワインを入れた。一日ずっと後頭部が引き吊ったように痛くて、すぐ夜が来た。食後に眠たくなって、ここのところ寝るのが遅すぎるのでこのまま寝てしまおうと早めにお風呂に入って寝ることにした。夜中の1時くらいに目が覚めて、結局それから7時くらいまで寝られなかった。そのときも頭が痛かった。原稿とか翻訳とか、何かしなきゃと思いながら、動画を見たり、ネットサーフィンをしたり、もぞもぞとストレッチをしたりする。ただちょっと痛いだけで、これは何でもないんだと思いながら、同時にそれが自堕落に過ごすことの言い訳になっているような気もして、その葛藤の矮小さを隠すように画面が光って、目の奥を絞り上げていた。痛み止めを飲んでふたたびベッドに入った。彼女が何してたのと聞くので、何にもしてないよと言った。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月23日

夜中にツイッターを見ていたら、K2RECORDSが閉店するというニュースが流れてきた。大阪の日本橋にあるレンタルCD屋だ。阪大時代によく行った。1階に邦楽、2階に洋楽があって、とにかく在庫が多くて、たくさん借りるほど割安になって、郵送で返却ができた。家が豊中市で店がミナミなので、数ヶ月にいちど行って30枚も40枚も借りて片っ端からパソコンに取り込んでいた。借りるときはケースから外して、ビニールのスリーブにCDとライナーノーツだけ入れてもらう。オウテカとか、ジョニ・ミッチェルとか、ボアダムスとか、憶えているものもあるが、大半はいちど聴いたきりで返していた。それでも少なくともいちどは聴いていたのだ。気に入るかどうかわからないアルバムを通して聴くことなんてなくなってしまった。取り込みの速度と、ライナーノーツを読む速度と、曲が進む速度と。中学から修士まではiTunesの時代で、それはつまり、異なる速度が互いに互いのバッファとなるような時代で、そのはざまで視聴は待機であり、待機は視聴であった。サブスクリプションも、数年前から流行っているらしいアナログレコードも、そうしたズレを許容しないという点において一致している。しかしそのズレに、忘れるかもしれないものの歓待がある。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月22日

日記の私家版のデザインを八木幤二郎くんに頼んだら引き受けてくれて、早速打ち合わせをすることになった。湘南新宿ラインで新宿まで行って、小田急線に乗り換えて下北沢で降りる。ふたりとも煙草を吸うので喫煙可のカフェを指定してもらった。去年初めて彼と話したときに、本をマニ車的なものとして、つまり背表紙が筒状になった円環的な構造で作ることに興味があるということを言っていたのを憶えていて、僕が日記本でやりたいことに通じるところがあると思っていた。赤字が直接自分に返ってくる初めての企画なので怖いところもあるが、自主制作で小部数発行だからこその思い切ったデザインの本になるといい。それに本文だけならここにすべてあるのだ。彼がヴィルヌーヴ『メッセージ』の文字の話をして、僕がその原作のテッド・チャン「あなたの人生の物語」ではヘプタポッドの円環的な身体構造と時間認識の相関が説明されていることを話したり、そういう概念的な話と具体的なものの話が高速で行ったり来たりして楽しかった。久々にそういう、物を作るための話をしているという感覚があった。

外に出ると雨で、もう3時くらいで、どこか展示にでも寄って帰ろうと思っていたが、そうしてラッシュに巻き込まれることを考えると憂鬱でやめてしまった。来た道を戻る。電車から街を人が歩いているのを見られるのは都心の特権だと思った。高いビルの上の方が雨に煙って隠れていた。例えば新幹線に乗っていると、何もないが家と田んぼだけがあるような、表に一切人影がない景色が延々と続く。ああいう場所から僕は来たのだと思った。人影はないが、統計的にはおそらく多数派であり、高速で通過されることでその無個性を圧縮されたような場所。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月21日

酉の市の2日目。それで昼頃からずっと家の周りが騒がしく、雨まで降ってきて、外に出たくなかった。昼ご飯はお茶漬けだったし、晩ご飯はチャーハンだった。夜に日記私家版の話をツイッターでしたら、書店からもし出たらうちで置かせてほしとDMが来て、じゃあ作ってみようと思ってデザイナーにDMをした。翌日のいま電車で打ち合わせに向かっている。

投稿日:
カテゴリー: 日記

11月20日

昔からよく暇潰しにネットで服を見る。決まったセレクトショップの通販サイトを見たり、そのとき気になるブランドのラインナップを見たりする。今日はキャップで有名なニューエラのアパレルをチェックしていた。キャップはもうクリシェで、自動的にパーカーとスウェットパンツとナイキのバスケットシューズという組み合わせが思い浮かぶ。これはこれでひとつのコスプレとして楽しめそうではあるが、僕っぽくないし、そもそもキャップなんてかぶりたくない。アパレルのほうはキャップほどヤンキー的なものとして記号化されていないし、ラフでスポーティな感じを普段着ているものに組み合わせて、でも「ニューエラ」であるというくらいがいいんじゃないかと思った。数年前からスウェットパンツ——いまや出していないブランドのほうが珍しい——の履き方をぼんやり考えては諦めていたので、その線でもニューエラはちょうどいい気がした。でも実際見てみるとやっぱりスウェットはスウェットだなあと思って冷めてしまった。服を見ているとよくこういう気分になる。見ているものがたんなる記号になってしまうと同時に、自分が不恰好な土くれになってしまったような気分になる。

投稿日:
カテゴリー: 日記