11月16日

しばらく前に中森弘樹さんと黒嵜想さんと僕との鼎談記事「いてもいなくてもよくなることについて」を拡張したうえで書籍化する話を編集者から提案された。以下なんとなく、編集者をH、中森さんをN、黒嵜さんをKとしてそれ以降今日までの顛末を書く。

Hから話をもらって、とりあえずその鼎談を一緒に企画したKにその話を伝えた。そんなに乗り気にならないだろうなというのは、ここ1年くらい彼が元気なさげなので思っていたが、なかなかはっきりした返事が来なかった。しかし数週間前にKが急に元気になり長い電話をしたときにその話を出すと、Nの単著として彼の論考を増補して出すなり、いずれにせよNの仕事が中心になるように作るのが筋じゃないかということで、僕も異論はないと言ってそうHに伝えた。もともとNの単著を発端とした鼎談であり、失踪というテーマもそこから来ているので、われわれはそれがいちばん自然だと考えた。しかし他方でHからその旨を聞いたNはあの鼎談はKと僕のおかげで出来たのだと言い、三者がそれぞれ主導権を譲り合う格好になってしまい、Hが困っていた。有り体に言えば、あの鼎談がよくできすぎたいわゆる神回で、ぱっと集まってあれ以上の話ができる気がしないということもみんな思っていたことだ思う。

そういう曖昧な状況ななか元気になったKが東京に遊びに来ていろいろ話をして、それとは別の企画をKと僕ともうひとりのXとでやらないかということになってKは京都に帰って行った。これが2週間ほど前。若干かっ飛ばし気味でヒヤヒヤするところはあったがいつものKに戻ったようでひと安心した。しかしそれから数日後にKとXとの企画会議中にちょっとしたトラブルがもちあがって、Kは元気になる前より元気がなくなり、しばらく療養をしたほうがいいと自分で判断し、その企画から抜けてしまった(ちょっと前の日記に書いた「〓〓さんと〓〓さん」の話はこのことだ)。僕はちょうどそのとき手が塞がっていてグループチャットの成り行きをなすすべもなく見ていたのだが、少しして今度はKからNとHと僕とのメールに鼎談書籍化の企画は不参加とさせてほしいという連絡が来た。Kは冗談まじりに「いてもいなくてもよくなること」の実践として自分抜きでNと僕だけで作ってもいいんじゃないかと言い残していた。僕はそれは本当にKが必要としていることかもしれない思い、しかしKの近況を知らないNとHには寝耳に水の話だろうと思ったので、ふたりに僕から見た限りでのKの状況を説明したうえで、僕としてはマジでNとふたりで進めてしまっていいと思うと言った。これが3日くらい前のこと。

すると、本当にびっくりしたのだが、今度はNが、Kがそういう状況になったのは特別驚くことではない、誰でもいつ鬱状態になってもおかしくないし自分も半分そんな感じだと言い、この企画は最初にKが消え次にNが消え福尾が消えという感じになってもいいのではないかと真顔で言っているメールが来た。なんともNらしい、およそ僕には及びもつかない発想で、勝手なことを言ってくれるなと思うと同時に、なんだかとても嬉しくなった。Nは鼎談公開収録のときも打ち上げの「う」の字を聞くと同時に僕は帰りますと言って帰っていて、この『失踪の社会学』の著者は本物なんだと思った、その嬉しさだ。企画としてはどんどんフォームが崩れてきて、すでにどう転がってもまともな本にはならなさそうだが、僕はKの元気がなくなったこととは別に、この状況はすごく変で面白いと思っている。もちろんHの意見次第でもあるが、僕としてはこれがどんな形であれ具体的な成果物として出来上がったら絶対変なものになるし、そのためにできることはしたいと考えている。僕が楽しんでいる限りはKおよびNのいてもいなくてもよさは確保されるのではないか。

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カテゴリー: 日記