11月18日

もう定番になりつつある喫煙ブースの話。やはり何かあの場所には風水的によくない澱みが発生しているんじゃないかと思う。ドトールで作業しつつブースで煙草を吸っていると60歳くらいの女性ふたりが入ってきた。それぞれ煙草に火をつけてあそこのドンキがどうこうという話をしながら、ひとりが台に散乱していた煙草の空き箱を漁り始めた。もうひとりはそれをなんでもなさそうに見ている。喫煙ブースの台に散乱している煙草の空き箱——ゴミ箱がないのでそこに置きっぱなしにされたり灰皿の穴に無理やり突っ込まれたりする——を漁ることがふたりにとってとても自然なこととして行われていて、その自然さが悲しかった。例えば食事中にテーブルに肘をついてしまう、それを本人も周りも取り立てて意識しない、とかそういうレベルの「ついつい」として、くしゃくしゃの空き箱をこじ開けるということが行われていて悲しかった。そういう種類の悲しさがこの街のいろんなところにこびりついている。痰を搾り上げる音とか、スウェットの毛玉とか、使い回されたビニール袋とかとして。

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カテゴリー: 日記