11月27日

いまぼんやり考えていることで2年後くらいに実際に取り掛かっていそうなことがいくつかある。というか、2年後くらいに実際に取り掛かっていそうなことの妄想と、目先の作業とを行ったり来たりするタイムマシーンのようなものが自分のなかで育っていく感じがあり、それはこの仕事の楽しさのひとつだと思う。これは大和田さんから又聞きした話なのだけど、彫刻家の曽根裕さんは5年かかるプロジェクトと1時間で終わるプロジェクトとか、スケールの違う仕事を1日の作業のなかに意識的に混ぜているらしい。気分としてはよくわかる。ただ仕事柄僕の場合、先のプロジェクトについていまやれることが本を読むこととかメモを溜めるとかそういう間接的なことになりがちで、結局執筆という直接的な作業が神秘化されるというか、具体的な締め切りが与えられて初めて輪郭が立ち上がる執筆とそれ以前の準備との分割があまりに強くなってしまう。半面そのおかげでやる気が出る部分もあるが、その繰り返しばかりだと時間がサウナに入ったり出たりしているみたいなたんなる密度の波になってキツいということもあると思う。

その点この日記はそのつど準備も何もなく1年書いて、いまそれを本にしようという話をしていて、来年は書き溜めた日記を素材にこのサイトで少しずつ何か書いていって、それはそれでまたその次の年くらいに本になればいいなと思っている。散文が登場人物になったサーガのようなものだ。溜めたものを書くのではなく、切れ切れに書いたものが溜まって形をなしそれがまた別の文章を呼ぶ。昨日のことを思い出しながら、2年後のことを予期しながら。自分の書いたものに引用符を付ける必要はないので——もちろん場合によるが——読んで集めた素材とはまた違う。その意味でこの日記は初めて予備動作なく「たんに書いている」ものであると同時に、純粋に素材でもある。準備−執筆−締め切りのシャトルランの傍にこういう時間があると生活が豊かになった感じがする。仕事と生活のバッファのようなものだ。

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カテゴリー: 日記