11月19日

日記を始めて10ヶ月経った。ちょうど雑談掲示板にもそういうコメントが来ていたが、更新を楽しみにしているという以上の、「救われている」というようなことを言ってもらうことがちらほらある。他方でこれもちらほら言われることとして、この日記を本にしないのかと聞かれることもある。これまでの約300日ぶんで17万字くらいあって、1年経つ頃には20万字くらいになるだろうから、たしかに立派な単著サイズではある。でも現に編集者からそういう話をもらっているわけでもなく、僕としてもどこかに企画を持ち込んだりする気もない。それはひとつには、書いている僕にとっても、読んでこの日記が何かちょっとした支えになっている人にとっても、やはり日々とともに書き継がれていく時間が書かれたものとセットになっていることが大事なんじゃないかと思うからだ。本にするとそういう時間は無くなってしまうし、遡って読まれるにせよ、このサイトの記事を辿っていくほうがここにそういう時間があったという手触りが感じられると思う。だから今は書籍化するとしても365部限定の私家版として個人的に出す——なるべくこの日記のもともとの読者に優先的に届くように——というあたりがちょうどいいかなと思っている。それで、今ふと思いついたのだが、例えばこういうのはどうだろう。365部限定で、それぞれが異なる日の日記から始まっていて、最初の日記がそのまま表紙になっている。1月20日から始まって1月19日で終わっているものもあれば、9月1日に始まって8月31日に終わっているものもある。同じ1年ぶんの日記の365通りのバージョンの本になる。それがこの日記が書かれるのと時間をともにしながら読んだ人それぞれに届けられる。素敵な感じがする。

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11月18日

もう定番になりつつある喫煙ブースの話。やはり何かあの場所には風水的によくない澱みが発生しているんじゃないかと思う。ドトールで作業しつつブースで煙草を吸っていると60歳くらいの女性ふたりが入ってきた。それぞれ煙草に火をつけてあそこのドンキがどうこうという話をしながら、ひとりが台に散乱していた煙草の空き箱を漁り始めた。もうひとりはそれをなんでもなさそうに見ている。喫煙ブースの台に散乱している煙草の空き箱——ゴミ箱がないのでそこに置きっぱなしにされたり灰皿の穴に無理やり突っ込まれたりする——を漁ることがふたりにとってとても自然なこととして行われていて、その自然さが悲しかった。例えば食事中にテーブルに肘をついてしまう、それを本人も周りも取り立てて意識しない、とかそういうレベルの「ついつい」として、くしゃくしゃの空き箱をこじ開けるということが行われていて悲しかった。そういう種類の悲しさがこの街のいろんなところにこびりついている。痰を搾り上げる音とか、スウェットの毛玉とか、使い回されたビニール袋とかとして。

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11月17日

部屋で裏地がナイロンのボアベストを羽織っているからか、煙草を吸いに台所に行ったりするたびに、どこかに触ると指先にパチっと静電気が走る。夜になるとその頻度が上がるような気がする。最初のうちは煩わしかったが慣れてしまってからはクリックみたいなものだと思うようになってきた。タップ&スワイプという擬似的な点への接触が静電気を気取られることなく用いているのに対して、実際の接触にともなうパチっと鳴る静電気はある種のキアスムの関係にある。タッチスクリーンが「タッチ」を偽装するためにピクセルというリアルを隠蔽するのに対して、痛みをともなう静電気は実際のタッチを点的なクリックに翻訳するのだ。とか考えながら煙草を吸っていた。

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11月16日

しばらく前に中森弘樹さんと黒嵜想さんと僕との鼎談記事「いてもいなくてもよくなることについて」を拡張したうえで書籍化する話を編集者から提案された。以下なんとなく、編集者をH、中森さんをN、黒嵜さんをKとしてそれ以降今日までの顛末を書く。

Hから話をもらって、とりあえずその鼎談を一緒に企画したKにその話を伝えた。そんなに乗り気にならないだろうなというのは、ここ1年くらい彼が元気なさげなので思っていたが、なかなかはっきりした返事が来なかった。しかし数週間前にKが急に元気になり長い電話をしたときにその話を出すと、Nの単著として彼の論考を増補して出すなり、いずれにせよNの仕事が中心になるように作るのが筋じゃないかということで、僕も異論はないと言ってそうHに伝えた。もともとNの単著を発端とした鼎談であり、失踪というテーマもそこから来ているので、われわれはそれがいちばん自然だと考えた。しかし他方でHからその旨を聞いたNはあの鼎談はKと僕のおかげで出来たのだと言い、三者がそれぞれ主導権を譲り合う格好になってしまい、Hが困っていた。有り体に言えば、あの鼎談がよくできすぎたいわゆる神回で、ぱっと集まってあれ以上の話ができる気がしないということもみんな思っていたことだ思う。

そういう曖昧な状況ななか元気になったKが東京に遊びに来ていろいろ話をして、それとは別の企画をKと僕ともうひとりのXとでやらないかということになってKは京都に帰って行った。これが2週間ほど前。若干かっ飛ばし気味でヒヤヒヤするところはあったがいつものKに戻ったようでひと安心した。しかしそれから数日後にKとXとの企画会議中にちょっとしたトラブルがもちあがって、Kは元気になる前より元気がなくなり、しばらく療養をしたほうがいいと自分で判断し、その企画から抜けてしまった(ちょっと前の日記に書いた「〓〓さんと〓〓さん」の話はこのことだ)。僕はちょうどそのとき手が塞がっていてグループチャットの成り行きをなすすべもなく見ていたのだが、少しして今度はKからNとHと僕とのメールに鼎談書籍化の企画は不参加とさせてほしいという連絡が来た。Kは冗談まじりに「いてもいなくてもよくなること」の実践として自分抜きでNと僕だけで作ってもいいんじゃないかと言い残していた。僕はそれは本当にKが必要としていることかもしれない思い、しかしKの近況を知らないNとHには寝耳に水の話だろうと思ったので、ふたりに僕から見た限りでのKの状況を説明したうえで、僕としてはマジでNとふたりで進めてしまっていいと思うと言った。これが3日くらい前のこと。

すると、本当にびっくりしたのだが、今度はNが、Kがそういう状況になったのは特別驚くことではない、誰でもいつ鬱状態になってもおかしくないし自分も半分そんな感じだと言い、この企画は最初にKが消え次にNが消え福尾が消えという感じになってもいいのではないかと真顔で言っているメールが来た。なんともNらしい、およそ僕には及びもつかない発想で、勝手なことを言ってくれるなと思うと同時に、なんだかとても嬉しくなった。Nは鼎談公開収録のときも打ち上げの「う」の字を聞くと同時に僕は帰りますと言って帰っていて、この『失踪の社会学』の著者は本物なんだと思った、その嬉しさだ。企画としてはどんどんフォームが崩れてきて、すでにどう転がってもまともな本にはならなさそうだが、僕はKの元気がなくなったこととは別に、この状況はすごく変で面白いと思っている。もちろんHの意見次第でもあるが、僕としてはこれがどんな形であれ具体的な成果物として出来上がったら絶対変なものになるし、そのためにできることはしたいと考えている。僕が楽しんでいる限りはKおよびNのいてもいなくてもよさは確保されるのではないか。

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11月15日

起きて、日記を書いた。書き終わるとブラウザのタブが5個くらい増えていて消した。冷蔵庫が壊れた。引っ越してきて近所のリサイクルショップで買ったもの。昨日の朝オーブントースターと湯沸かし器とドライヤーを同時に使ってブレーカーが落ちて、急に通電したときから壊れていたのだろう。そういうこともあるらしい。中のライトは点くのに冷えなくなってしまった。価格ドットコムとAmazonとヨドバシを行ったり来たりしながらちょうどいい大きさのものを注文した。卵とか溶けてしまったアイスとかを捨てて、まいばすけっとで氷をたくさん買ってきて入れた。

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11月14日

Spotifyのおすすめに出てきたWool in the PantsというバンドのWool in the Poolというアルバムを繰り返し聴いていた。思い出したのは、中学のときだったか、キューピーハーフマヨネーズのCMで流れたTommy GuerreroのIt gets heavyを初めて聴いたときのことだ。それが収録されている輸入盤のCDをHMVのネット通販で買って、アルバムタイトルのSoul Food Taqueriaの”Taqueria”という綴りと赤と黄色だけで描かれた南米風の街角に言い知れない異邦感があった。「国境の南」という曲名がメキシコを指すことを知らなかった村上春樹の小説の主人公のように。いずれのアルバムもダウナーなファンクで、重いベースが前に出て、呻るようなボーカルが低徊している。Wool in the Pantsのボーカルの「私」が「YTC」に聞こえる粘っこい節回しが独特で、高田渡のフォークソングから人生観を根こそぎにしたような乾いた歌詞が癖になる。1曲目のタイトルはBottom of Tokyo。それがどこなのかわからないのに生々しい。その乖離感がリアルだと思う。

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11月13日

こないだの大雨からずっと気持ちのいい晴れが続いている。遅く起きてご飯も買ったもので済ませて、翻訳を進めたり本を読んだり動画を見たりしていた。夜中にお腹が空いて、でももう大きいスーパーは閉まっていたので、家にあったアスパラガスとしめじと玉ねぎと、まいばすけっとに買いに行ったキャベツとウィンナーでスープを作った。鍋にオリーブオイルを多めに入れて、ニンニクひとかけをゆっくり熱する。そのあいだに玉ねぎをざっくりと切って香りが移った油に入れてざっと混ぜ、そのまま弱火で加熱する。玉ねぎが透き通ってきたところに残りの材料を切っては鍋に入れ混ぜるを繰り返す。ここまではラタトゥイユと同じ作り方だ。材料をすべて入れたら、こないだ鶏ハムを作ったときに出た出汁を凍らせていたやつをレンジで溶かして入れて(水でもいい。コンソメなどを入れなくてもしっかり野菜の味がする)、沸騰してから15分くらい煮込む。味を見て塩と胡椒を加えて、牛乳を1カップ入れる。好みで粉チーズをかけて食べる。昨日中目黒で見つけたパン屋さんで買った、中にじゃがいもとディルが入っていて、表面にチーズが焼き付けられているパンと一緒に食べた。

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11月12日

中目黒で服屋を見て歩いていると古本屋があって、『日の移ろい』という島尾敏雄の日記が2000円で、まあいいかと思ってレジに持っていくと『続 日の移ろい』とセットでむしろ安かった。鬱のなか文芸誌の編集者に日記でいいから書いてくれと言われて書かれたものらしい。日記本は否応なく影響を受けそうで読まないようにしていたのだが、装丁もカッコいいし、ここで買わなかったら一生読まないだろうなと思ったから買った。

昨日のトラブルは結局残念な結果に収束した。友人がひとり、しばらく仕事から離れることになった。僕の仕事に具体的な目的が生まれたわけだと思ってむしろやる気が出た。僕は彼がいられないような場所を「批評」とか言ってありがたがるつもりはまったくないし、今後は彼がいつ戻る気になってもいいような、戻りたいと思うような場所を確保するために面白い批評を書いていきたい。

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11月11日

大切な用事で出かけていて他方でグループチャット上で重大なトラブルが持ち上がって身の置き所がなく、しかもいずれも書きにくいことなので二重三重に困っている。普段ならこういうときはその日あったこととは関係なく考えていることとかを書いてしのいでいたのだが、そういうわけにもいかないくらい困っている。「とにかく間が悪かった。しかしその間の悪さがたんなる間の悪さとして捌けないのも、この2年くらいで積み重なった屈託ゆえだと思うので、これを解きほぐすのにはある程度時間を要するかもしれません。僕がいまいちばん心配しているのは〓〓さんと〓〓さんの心理的安定なので、とにかく間が悪かったのだと気に病まずにいてください。また近々ゆっくり話しましょう」とは言ったものの、僕に何が話せるというのか。何もないだろう。説得したいわけでも励ましたいわけでもないし。でもそういうデタッチメントの果てにこういう状況があり、無神経な僕だけがのうのうと過ごしているのだとしたら? そう考えるととても怖い。僕の楽しいことの延長線上に誰かの楽しいことが交差していればいい。それは前提だ。でも彼の言うとおり出会いは奇跡でも再会は奇跡ではないとして、その奇跡ならざる再会にまつわるリスクを誰が負うのか。いま誰が、組織的な後ろ盾も公的な口実もないなかでその「強者」の役を買って出ようと言うだろうか。分断より解散をというのは前提だ。でも前提は誰も救わない。僕は友達にその前提を振りかざそうというのか? わからない。

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11月10日

髪を切りに行こうと思ったらいつもの店が休みで、しょうがないのでみなとみらいの東急スクエアに入っている間違いはなさそうな美容室の予約を取って行った。担当になった店長は世間話より技術的な話をしてくれる人で、僕は人の仕事の話を聞くのが好きなのでよかった。ここはこういうクセがあるのでこう切ったほうがいいとか、ブローするときにこういうところに気をつけたほうがいいとか、前切った人がこうしようとした形跡があるとか、そういうことを話してくれる。そんななかで僕の長年の疑問が氷解したことがあった。ずっと前から、髪を短めにしようとすると後頭部のところがボコっと膨らむのが気になっていて、それはもうずっとずっとそうだったので、僕の髪を切る人は誰もが僕がそういうマッシュルームカット的な形が好きなやつだとみなし、何かそういう自分の文化系っぽさがこの後頭部の感じを引き寄せてしまっているんだと思い込んでいた。しかし彼が言うにはそれはたんに僕の髪の生えグセと切る側の技術の問題で、だから坊主にするのでもなければ短くするよりかえって長めにして髪の重みでうなじとの接続をなだらかにしたほうがすっきりするんだと言われた。これにはびっくりした。髪を切られるたびに俺はどうせマッシュっぽくすればありがとうございますと言って帰っていくやつだと思われているんだと思っていたが、そんな文化的心理的な問題などではなく、たんなる技術的生理的な問題だったのだ。

頭も心もさっぱりしてビルの前にあるテイクアウトだけのコーヒースタンドに寄ると、なんだか凝った店らしくブラックを選ぶと豆の種類の説明をされて、おすすめらしいどっしりしてスパイシーな後味があるという豆を選んだ。先に来ていた女性がカップを片手に店員と気安く話していて、その店員が僕にここらへんで働かれてるんですかとか話しかけるので、いきおい3人で会話がなされているかのような感じになりちょっと身構えた。案の定僕が店員にその変わった形のドリッパーは何ですかと聞いて、彼がこれはお湯をドリッパーに堰き止めるためのレバーが付いてるんですと言うと、女性が僕にコーヒーお詳しいんですかと聞いてきた。自分でハンドドリップするくらいで炒ったり挽いたりはしないですと言ったりしていると、今度は白人の男性がエスプレッソのダブルを買いに来て、彼女が彼にどこの国の方ですかと聞いた。彼女はこの4人でひとしきりお喋りしようとしているのだ。こんなコミュニカティブな人間がいるのかと僕は完全に気圧されてしまい、出てきたコーヒーを受け取ってそれぞれに曖昧な会釈をしながら店を出た。歩きながらひと口すするとたしかにどっしりとしてスパイシーな香りのあるコーヒーで、そう思ったところで、ああ、せめてその場でひと口飲んでたしかにどっしりしてスパイシーですねと店員にひとこと言ってから出るべきだったのだと気づいて、僕はそういうところがなっていないなと思った。しかしみなとみらいは恐ろしい。黄金町とはぜんぜん違う。

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