11月9日

起きると大雨が降っていた。カーテンをすべて開けて外を見ていた。日記を書き終えて雨が止んで、外に出ると「参拝者最後尾」という看板を持った人が家の前に立っていた。すぐそこの金刀比羅鷲神社の酉の市が2年ぶりに開催される。大通公園沿いの道路に単管で組み立てられた屋根が連なり、50メートルほどにわたって所狭しと熊手が並び「山口組」とか書かれた提灯がぶら下がっている。まだ出店は開いていない。駅から桜木町に行って、みなとみらいのデサントの店でダウンジャケットを買った。マックで昼ご飯を食べて帰るともう出店も開いていて人が集まり始めていた。仕事が終わった彼女と待ち合わせて見て回る。横浜橋商店街の店々も軒先にテーブルを出して、キムチ屋はチヂミを売り、タイ料理屋はパッタイを、惣菜屋は焼き鳥を売っている。イカを焼く匂いが鼻を突き、熊手の購入者はハッピを着た悪そうな男たちの柏手で送り出されている。暗い公園には役目を終えた熊手がうず高く積み上がっている。家にたどり着くのにも苦労する人だかりで、なるべく冗談に聞こえないように彼女にこれがアフターコロナやと言ってみたが、あまり面白くないようだった。

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11月8日

アパートの向かいのまいばすけっとに煙草を買いに行って、ハイライトメンソールと言うと、年齢確認できるものはありますかと聞かれて、いや、いま携帯しか持っていないんでと言うと、年齢確認できるものがないとお出しできませんと言われ、でも僕ここで毎日のように買ってるんですけどと言うと、でも年齢確認できないと、と言われ、そうですかと言って出て行った。「僕は平成4年6月4日生まれです。何歳かパッと言えますか。29歳です。僕は29歳なんですよ。29歳の人に免許証を出せと言うのはあまりに馬鹿げていませんか」とか「僕はそこのアパートに住んでるんです。財布を取りに行くのに3分もかかりません。こんな嘘をついてもしょうがない。それで僕が取って戻ってきて、確認して買っても、誰もいい思いはしません。僕は面倒だし、あなたも一度聞いてしまって引くに引けなくなってるだけでしょう」とか言葉が湧いてくる。財布を手に戻るとその人がああ取ってきてくださったんですね、たいへん申し訳ございませんでした、平成4年ですね、申し訳ございませんとしきりに謝っていて、やっぱり誰もいい思いをしないんだと思った。しかし彼女も、いくら顔半分がマスクで隠れていて平日の昼間から部屋着で煙草を買いにくる若者が珍しいからと言って、本当に僕が未成年だと思ったわけでもないだろう。それは口を突いて出たのだ。法が喋る。法の前では説得も謝罪もあまりに虚しい。その虚しさがまた虚しい言葉を呼ぶ。そうしてひとは傷つく。そういう順番だ。

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11月7日

こないだ買ったヴァージニア・ウルフの『フラッシュ——或る伝記』を読んでいる。フラッシュはFlashではなくFlushで、つまり光のまたたきではなくウォシュレットのボタンに書いてあるほうの単語であり、顔の紅潮を意味する言葉でもある。新書サイズの白水Uブックスを読むのがたいへん久しぶりで懐かしい。このレーベルで印象に残っているのはマンディアルグの『狼の太陽』という短編集で、ウルフ(WolfではなくWoolfだが)で狼で、しかもフラッシュは犬の名前なので何か犬的な星まわりにあるのかもしれない。『フラッシュ』はエリザベス・バレット・ブラウニングという19世紀中葉の詩人の飼い犬となったフラッシュの伝記で、生き生きとした描写や犬の目を通して語られるヴィクトリア朝のロンドン、病弱な詩人との繊細な交流はディズニーに映画化してほしくなるような伸びやかさをたたえている。ウルフで犬と言えば僕は『千のプラトー』でいつもどおりドゥルーズ゠ガタリが引用元も示さず引いている「やせ犬が道路を走っている。このやせ犬は道路だ」というウルフに帰せられている一節を思い出す。この本を手に取ったのはそれがどこかに見つかるかもしれないと思ったからでもあるが、ぜんぶ読んでいないのでまだわからないし、そういうのを抜きにして読んでいて楽しい。エリザベスとフラッシュが出会う場面を引用して終わろう。

「どちらも驚いた。バレット嬢の顔の両側には、重そうな巻毛が垂れている。大きないきいきした眼が輝いている。大きな口もとがほころんでいる。フラッシュの顔の両側には、重そうな耳が垂れている。彼の眼も、大きく、いきいきしているし、口は大きい。彼らの間には、似通ったところがある。お互いをじっと見つめ合っていると、どちらもこう感じた。「おや、わたしがいる」——それから、めいめいが感じた、「でも、なんてちがっているのだろう!」」

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11月6日

ドトールの喫煙ブースに入ると、もう腕落としちゃうしかないんじゃない、でもあいつ腕落としたら脚落とすタイプかもという声が聞こえてギョッとして、あまりそちらを見ないように煙草に火をつけた。台に肘を置いて向き直るように視野の端で声の主を見ると、金髪にフェイクファーの黒いパーカーを着た女性が壁に背をもたせかけてしゃがんで電話していた。真っ白の厚底スニーカーから鋭角に飛び出した日焼けした膝が黄ばんだ照明を受けて光っている。いずれも誇張されたシルエットの黒と白で挟んで、脚を細長く見せるためだけに選ばれたような格好だ。服を着ていない部分を見せるために服を選ぶというのは僕にとっては尋常ではない感じがした。まさか本当に腕を切り落とす話をしているとも思えないが——たぶんリストカットをやめられない知人の話でもしているんだろう——とはいえ水商売とかですらなさそうな非カタギ的な服装だし、なんだってここらの喫煙ブースはそういうろくでもない話をしているやつばかりなんだと思った。こないだはコメダに詐欺にあった「社長」と彼をなだめているんだかからかっているんだかわからない「マネージャー」がいたし、いつかはこのドトールであいつも殺人教唆で7年くらったからなあと、高校の部活仲間を思い出すみたいに話しているおじさんがいた。時代の闇の象徴とされるような突発的な暴力とは違う、分厚い歴史のなかで醸成される悪や暴力もある。そういうもののほうが僕にとっては異質に感じられる。喫煙席から喫煙ブースへの移行にともなってその密度が増しているのだ。人を馬鹿にしたような小ささのセリーヌのバッグを提げてその女性が出て行った。

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11月5日

そういえばまだ書いていなかったので、1月に日記を始めたときに念頭にあったふたつのことについて書く。ひとつはゴダールの発言で、たしか Adieu au langage(こればかりは邦題を使う気になれない)が公開された頃のインタビューでの話だったと思う。これから映画を撮りたい若者に何かアドバイスはあるかと聞かれて、彼はiPhoneでもなんでもいいので自分の一日を撮影することから始めるといいと答えていた。iPhoneにカメラとマイクがついていて、簡単な編集ソフトは無料で使える。しかしカメラはどこに置くのか、家にいる自分を据え置きのカメラで撮影し続けるのか、go proを頭にくっつけて一日過ごすのか。そんなことをしても何も写らないだろう。「今日」はどのように映像になりうるのかと考えたとたんに映画を作ることのとりとめのなさが感じられてずっと頭に残っていた。もうひとつはYouTuberのことで、たとえばYouTubeを始めたテレビタレントは、毎日動画を投稿することで初めてYouTuberとして一人前だと認められる風潮がある。去年は博論にかかりきりでコロナもあって、家にいる時間が増えるとだんだん長い映像コンテンツを見る気が失せてきて、いきおいYouTubeを開くことが増えたのだが、毎日更新される10分ほどの動画に何か救われるような気持ちがした。毎日やるとどうしても企画の鋭さやパフォーマンスの質は落ちてくるが、毎日投稿という不文律はむしろその揺れを共有するためのものだろう。それがたんなる情報量の差ではなく楽しまれるものになるためには、自分の地金を見せる覚悟が必要だろう。作り手と受け手のそういう、だらしないんだか忙しいんだかわからない関係性に興味があった。そのふたつのことの交差するところでこの日記は書かれている。

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11月4日

起きて、日記→事務作業→翻訳という順でやると、あとは博論本の執筆を丸一日することができる。もちろん丸一日作業が続けられるわけではないが、やるべきことを片付けておくとあとはずっと考えたいことを考えていればいいので、実際の作業が進むかどうかではなく、ずっとそのことが頭の中にある状態を作ることができる。午前中に集中してやりたい仕事をまとめてやって、あとは雑務や気晴らしに充てるというかたちもあるだろうけど、僕はそれだと仕事と雑務が互いが互いにとっての逃げ場となってしまって結局散漫に過ごしてしまう。それで、日記を書いて事務作業をして翻訳をして、あとは外でぶらぶらしながら喫茶店に入って執筆を進めた。

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11月3日

もう11月で、今年もあと2ヶ月。ばっと書いてばっと出す小さい仕事はもう来ないだろうから、地道に博論本と翻訳を続けていこうと思う。博論本のとっかかりがようやく掴めてきて、序論を大幅に書きなおして、今は1章の節をバラして議論の流れを確認してすっきりした形になおしている。今月中に2章まで、年末までに4章まで進めたい。編集者が夏に過労で休んでからぜんぜん話ができていないのが気になっていたが、ほっといてくれてるんだからほっとけばよいのだと思ってやる気になった。しかし翻訳も60ページくらい残っている。日記とストレッチに加えてまた日課が増えてしまった。

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11月2日

短い1日だった。夕方に黒嵜さんが帰って、夕飯を作って食べて寝て起きたら夜中で、手の甲を蚊に刺されていた。こんなに涼しいのにと思いながらムヒを塗って、食器を洗うので絆創膏を貼りながら、今日の日記はこれでいいやと思った。

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11月1日

黒嵜さんが東京に遊びに来ていて、昨日(11月1日)の夕方から他の友達も集まって新宿でいまだに朝まで開いていて煙草が吸える珈琲貴族エジンバラに行ったり花園神社に行ったりして話して、始発で彼と横浜に戻って横浜駅近くのスーパー銭湯でお風呂に入って、僕の家で3時間くらい寝て、また彼と話して、いま(2日の夕方5時)彼が京都に帰って行った。友達でいることがいかに難しいかという話をしたりした。ホモソーシャル的な集まりへの拒否感はよく言われるし、僕もいわゆる体育会系の集団は嫌いだが、他方でそこで生まれるいびつさがホモソーシャルを維持するために払われるコストだということもよくわかる。たとえば『あの子は貴族』という、経済状況に差のあるふたりの女性の友達関係を扱った映画がこないだ公開されていたが、男社会であればこれは問題になりえない。金があるほうが先輩風を吹かして奢って、金がないほうが弟分的にかわいがられながら生意気を言うという吉本的なフォーマットで済む話だからだ。逆に言えば女性にとって社会的ポジションをまたいだ友人関係がどれくらい物珍しいかということがここに現れている。僕らの友人のあいだに経済的社会的な大きな差があるわけでもないし、所属先が共通しているわけでもないので、友達であり続けるためには酒も飲まずに(飲めないのだが)とにかく長時間喋りまくったり、みんなで旅行に行ったり、ときおり一緒に何か作ったりしないと、とたんにそれぞれの生活上の必要性に閉じこもったり、あるいは集まっても「業界」を相手取った愚痴を言い合うくらいしか一緒にいる理由がなくなってしまう。われわれはそれを恐れているということを確認した。

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10月31日

父方の祖母が夢に出てきた。僕が高校生のときに亡くなった。おとなしいひとで、優しかった。スーパーや病院に行く以外山から降りることもほとんどなかったと思うが、いつ会っても化粧をしていたように思う。その家で叔父叔母が集まって籾播きをしたり、稲刈りをした。僕はたくさんいるいとこのなかでいちばん年下で、そこらへんの山や田んぼに水を運ぶ溝で虫を探したりアケビを食べたりしていた。いとこが連れている、僕が背中に乗れそうなくらい大きいシェパードが、彼がシューーと犬笛を鳴らすとどこからともなく走ってくる。畑で採れたトマトを祖母に渡されて、僕は当時トマトが嫌いだったのだが申し訳ないのでそのままかじったときの、夏の熱気でなおさら強烈になった植物の匂いを覚えている。夢の中で祖母はとても若く、そんなに若い祖母は見たことがないのだが、とにかく祖母で、山をぐねぐねと登る道路を歩く僕を見つけて声をかけてきた。一緒に歩いていると雨が降ってきて、すると若い祖父——彼は彼女が亡くなった2年後に亡くなった——がいて大きな薄茶色の傘をふたつ取り出してひとつを僕に渡して、もうひとつを自分で差して祖母と一緒に入った。これから彼らは結婚するんだと僕は思った。

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