12月21日

互いに排他的であるということと、両者が共存できるということは両立する。なぜか。世界は広いから。そういう誰でも知っている単純なことが置き去りにされがちな時代だと思う。ちょうど昨日はデカルトの延長概念について書いたが、これもそういう排他的共存の話でもある。『〈情弱〉の社会学』という本をざっと読んで、タイトルから期待していたものとは違ってちょっと残念だった。どうしてわれわれの情報環境は世界を狭く感じさせるのかということが書いてあるのだと思ったら、そういうことでもなかった。SNSを見ていて、YouTubeを見ていて、世界が頭のなかでぎゅーっと狭くなるような感覚、そうした感覚へのアディクションの解析と処方箋があればいいのだけど。しかし「ウチはウチ」なき「ヨソはヨソ」はありえるのだろうか。ツイッターで「あっち行け」とは言えない。いまどこで「あっち行け」と言えるのか。

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カテゴリー: 日記