1月17日

コンサートのレビューの締め切りが20日で、いろいろ調べるばかりで執筆に入れていなかったのだが、「プリペアド・ボディ」というタイトル候補を思いついてとっかかりが掴めた気がした。

晩ご飯を食べたら急激に眠たくなって、お風呂に入って10時ごろには寝た。3時に目が覚めて今日鎌倉でする佐々木健さんへのインタビューの準備を進める。津久井やまゆり園の事件が大規模入所施設で起こったことの意味。東浩紀のいう、20世紀以降の社会を特徴づける大量死=大量生という図式の隙間にそうした施設があるとしたらと考えると背筋が寒くなるような感覚がある。被害者の家族の声を集めた「19のいのち」というNHKが作ったサイトを読む。これ以上の言葉はないという前提で、そこで口をつぐむのではなく何を言えるのだろうかと途方に暮れる。事件は加害者のもとに象徴化され反省されそれをもとに社会は部分的にではあれ改良される。それ自体は健全なフィードバックだ。それは具体的にはたとえば大規模施設から地域のグループホームへの移行による、障害者と介助者の数的不均衡の緩和を意味するだろう。それに対して被害者の家族の言葉はあまりに痛切であまりに具体的であり、一切の象徴化を拒んでいる。加害への象徴的批判と被害への個別的共感の対立がトラップだとして、後者を引き受けるような理論的実践はありうるのだろうか。メモ作りに戻る。

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カテゴリー: 日記