1月19日

ここのところナラ・シネフロの『Space 1.8』をよく聴いている。音楽を好きになるときにはいつも想起の感覚がこびりつくようになってしまった。あの頃の自分に聴かせても好きになるだろうと。自分が好きになりえなかった音楽を好きになることはこれからあるのだろうか。

昼ご飯を買いにセブンイレブンに行って、気に入っていたナシゴレンを探したのだがない。しばらく見ていない気がするのでもう売っていないのかもしれない。ナシゴレンと、紙パックの甘いコーヒー牛乳を飲んで、東南アジアっぽさを感じるのが好きだったのだけど。帰ってキャベツとアンチョビのパスタを作った。キャベツがしっかりくたくたになるように、しかしソースがしゃばしゃばにならないように、フライパンに入れるパスタの茹で汁の量を調節するのがポイント。おいしかった。

夜、ネットでランニングシューズとジャージ上下を買った。寒くて運動する気になれないのなら昼間に走ればよいのだと気づいて。本当はサッカーなり総合格闘技なり合気道なり、人と体をぶつけるコンタクトスポーツがやりたいのだけど、それはまたある程度運動に慣れてから考えよう。メガネのままじゃできないし。注文ボタンを押してから、自分が日記のあとの空白を埋めようとしていることに気がついた。

日記が終わったからといって日々が終わるわけでもなく、そもそも構造的にアンチクライマックスなのだから終わりに意味をもたせることなんてないのだと思っていたが、明日からもう書かないのだと思うととても心細い。しかしそれと同じくらい、これ以上続けたら本当にやめられなくなってしまうのではないかということが怖い。アンチクライマックスな終わりの空恐ろしさ。ここでやめること、日々から日記を分離してやること、というか、分離可能であることを確認することがそれぞれをそれぞれとして尊重することなのだ。こんなにお別れらしいお別れはいつぶりだろう。

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カテゴリー: 日記