日記の続き#24

東中野にアラン・セクーラとノエル・バーチが作った『忘れられた空間』を見に行った。セクーラとバーチの名前は映像学で知っているだけで、実作者でもあることもふたりが共作していることも知らなかったのだが、見ようと思ったのはふたりの名前よりこの作品がコンテナ物流を扱った映画だからだ。去年書いた大和田俊個展評は「コントラ・コンテナ」というタイトルで、コンテナによる物流の規格化に代表されるような均質な空間性に抗うものを大和田の作品に見るというものだった。そのときから現代的なロジスティクスのありかたには興味があって、その延長線上に昨年末の座談会で話した「置き配」的なものへの関心があった。『忘れられた空間』についてはまた気が向いたら書くかもしれないが、情報量がとても多かったのでとりあえず今日はひとつだけ。ナレーションではコンテナ物流の普及はテクノロジカルな発展だけでなく「便宜置籍船」という法的な枠組みが条件となったと説明される。これはペーパーカンパニーならぬペーパー国籍を船に与える(こないだスエズ運河につっかえた船を含めよく「パナマ船籍」という言葉がニュースに出てくるが、これがそれだ)ことで、実質的な船主の国の課税や法規制を逃れることができる。船そのものがタックスヘイブンになっていて、安く賄える船員が「自国」から調達される。いやはや……と思ったが作品は奇妙に楽観的なラストで、そのうえわりとナイーブなオリエンタリズムが露呈していて、いやはやと思った。

日記の続き#23

1992年6月4日、岡山県井原市生まれ。申年、双子座、血液型はB型。高校を出るまで井原市で過ごしたが、小6までは県営住宅に住んでいて、そこから同市内に父が建てた一軒家に引っ越した。県営住宅はいわゆる団地なのだが、なぜかわれわれはそれを「住宅」と呼んでいて、今思えばそこには大人たちの微妙な屈託が隠されていたのかもしれない。3つの部屋がそれぞれ居間、両親の寝室、私とふたつ上の兄の部屋になっており、両親の二人暮らし時代の名残なのかいちおう台所にダイニングテーブルがあったが食事はもっぱら居間のこたつ机で食べていた。われわれの部屋は1階にあり、ベランダの周りを小さな庭とする権利が与えられていた。庭を囲う柵の向こうには農業用重機を売っているヤンマーの販売所があり、私が覚えている最初の頃から薄暗いフロアに田植えの機械がぽつんと置かれているだけで、やっているのか潰れているのか最後までわからなかった。ベランダは80センチほど中空に取り付けられており、その下の年中乾いた砂には猫のフンや蟻地獄の巣がたくさんあった。ヤンマーの隣はこれは完全に人気のない木造の廃墟で、忍び込むと床を貫いて竹が生えており、畳は砂だらけだった。「住宅」をかすめるように南北に伸びる国道313号線を渡ると私が生まれた井原市民病院がある。あそこで生まれてここに住んでいるのだとよく思った。国道には子供の私にはあまりにも巨大なオレンジ色のダンプカーがいつも列をなして、山から切り出した石を積載してアスファルトを踏み締めていた。砂はそこから来たのだろうか。少なくともそういう文字通りの吹き溜まりに生まれる最小の砂漠から私は出てきたのだと思う。

日記の続き#22

横浜。蓮實氏のおかげで普段1日2、300しかないページビューが2000に跳ね上がったボーナスタイムも2日で終わり、平常運転に戻る。経験的に言って半年に一回くらいこういうことがある。もうちょっとマシなご褒美があってもいいんじゃないかとも思うが、ともかく。正味な話、読んでもらうことをご褒美としてカウントしていかないとその先にもつながらないのだ。だから投稿はすべてTwitterに流すし、必要とあらば蓮實について書いていますよとつぶやいたりする。それなら毎回日付や通し番号じゃなくてタイトルをつければいいじゃないかと思うかもしれないけど、それとこれとは別で、常連の人の信用とこの文章のコンセプトを守ることのほうが大切だと考えている。普段からよく読んでくれている人にとってはどこに向かうかわからない文章を1行目から辿ることがこの文章の楽しみのひとつになっているだろうし、それは僕にとっても同じことで、多少の打算はあってもそれに寄りかからずに書くのが楽しい。構文、主張、出来事の順序、連想、自己言及など、文章をドライブするものはたくさんある。まずもってそのたくさんあるのを眺める場としてこの文章はあるわけで、でもそればっかりだと何かが変な方向に極まって僕もキツくなってしまいそうなのでやっぱり半年に一回くらい風が入るのはいいのかもしれない。そう言えばボーナスってもらったことない。

日記の続き#21

京都駅英國屋のテラス席にリスポーン。また1週間が経った。僕にしてはめずらしく感情的な負荷のかかるコミュニケーションが多い週だった。叱ったり謝ったり嘆いたり、最後は蓮實重彦まで出てきた。いやはや。来週はゴールデンウィークで休みだし、2週間静かに過ごしたい。今12時半で、授業まで時間があるので昨日の続きでも書いておこう。蓮實は映画理論が映画に追いつくことなどないと言っていて、僕もそれは完全に同意するのだけど、その追いつけなさはべつにそれ自体としては瑕疵ではなく、理論的言説(哲学でも批評でもいいが)を映画と同じ資格のもとで、しかしそれぞれ異質な実践として捉えればよいのだと考えている。追いつけなさに感じ入ってばかりいてもしかたないわけで、映画から引き剥がしたものを言葉にして、それを別のところへ持って行くことに映画とは別の実践的価値を認めればよいのだと。ドゥルーズは『シネマ』の結論で、もはや映画とは何かではなく、哲学とは何かと問わなければならないときがやってくると書いている。映画に埋め込まれた理論を取り出す実践が、スクリーンに背を向けるときの到来を準備する。小さなさよならの積み重ねが人間を作るように客電の灯りとともに醒める意識から始まるものもあるし、映画館の外の夜がいつだって美しいのはスクリーンに背を向けることで初めてそこに映画を見ることができるからだ。ドゥルーズは映画に等価物があるとすればそれは夢ではなく不眠であり、想像的な投影ではなく映画館から出たときに降っている雨だと言った。

日記の続き#20

夜中、Twitterでエゴサしてみるとどうやら蓮實重彦が新刊で僕の本に言及しているらしくこれは大変なことだと『ショットとは何か』をKindleで買って本文を「福尾」で検索してみると、彼がドゥルーズ『シネマ』を批判している文脈で「比較的よくできていると判断されている」(奇妙な言い方だ)研究書として『眼がスクリーンになるとき』が挙げられ、僕が冒頭で『シネマ』について映画の誕生から執筆当時の作品までを取り上げた「全面的な」書物だと言っていることが気に入らなかったようだ。要するに映画のイメージを分類するというドゥルーズの思い上がりをたしなめる行きがかり上僕に流れ弾が飛んできた格好で、逆に言えばどうやら彼の『シネマ』理解そのものがかなり拙著に拠ったものとなっており、僕としては物足りない感じもする。彼が『シネマ』に「映画理論」を期待している(いた)ことのほうが驚きで、他方で拙著は本書を映画についての理論としては扱わないことを方法論的な指針としており、最初からすれ違っているのだからとくに言うこともないのだけど、そのすれ違った距離のなかで僕の本を手に取ってもらえたことは素直に嬉しいし、期待外れに終わったとはいえ彼に届いたのは『シネマ』という本のノードとしての多面性と蓮實重彦の貪欲さゆえであり、本を出してよかったなと思った。また気が向いたらもうちょっと真面目な応答を書こう。

日記の続き#19

4月22-25日
刊行予告のページにも追記したのだけど、5月1日発売予定で『日記〈私家版〉』に関することを進めていて、もう数日で完成品が届くぞと思っていたところで、印刷作業でミスが発生し納品が2週間遅れることになった。先行注文も受け付けてしまっているし、書店から発注もあったし、トークイベントの話も進んでいたし、多方面に迷惑をかけることになってしまって申し訳ない。同時に僕は謝られる側でもあって、腹が立つというより悲しいのだけど怒らないといけないし、こういうのが大人になるということなのだろうかと思うとよけい悲しい。こないだも別件で生まれて初めてくらいの説教らしい説教をして、僕は人が謝っているのを見るのが嫌いなのだが、謝られるわけで、なんだか疲れてしまった。さらに別件で友達と変な感じになったし。ロクでもないことばかりだなと思ってふて寝をして、思いなおして近所を走った。5分走って1分歩くのを5セット。走りっぱなしだと脚の疲労より先に呼吸がいっぱいいっぱいになってしまうのだが、これだとちょうどいい。帰り道、引いていく汗と弛緩する冷えた肺に、泣いたあとみたいだなと思った。

日記の続き#18

毎日書くのは大変なので、この「日記の続き」では去年の日記を貼ってそれで書いたことにしてもいいということにしていて、これまで何度か引用だけで済ませている。でもそれも良し悪しだなあと思っていて、今日はその話。日記のいいところは、毎日書くと決めていなければ書かないようなことを書けるところにある。それはある種のワンダーを運んできてくれることもあるが、同時にそれ自体結構ツラいことでもある。書きたくない、というか、書かないとしょうがないから書くわけで、そのしょうがなさを誰かに(誰に?)向かって言い訳したくなってしまうのだ。極端に言えばこれは僕が書いたわけではないんです、書かされているんです、と。これは普段「オーサー」めいた仕事をしている者にとってはなかなかの試練で、1年という長いんだか短いんだかわからない期間とはいえそれを続けられたのは偉かったと思う。それで、この「続き」から導入している引用についてだけど、果たしてこれはそういう試練からの逃避なのだろうか、というのが今考えていることだ。たしかにそれはサボることでもあるんだけど、そこにひゅっと去年の時間が入ってくるわけで、しかも少なくとも僕がそれを選んでいるわけで、サボればサボるほどこの「続き」の時間は重畳していく。文を今日に託すこと、いつか託した今日に託すこと。日々の側がヌーヴォーロマン的であるのだという、これもまた怠惰な言い訳。

日記の続き#17

この4月から立命館で非常勤講師を始めて、それで毎週京都に行っている。担当しているのは講義ではなく演習で、学生の発表を聞いてコメントするのが主な仕事だ。僕は学生として阪大文学部の美学と横浜国立大の都市イノベーション学府に通ったのだけど、共通するのは「イロモノ」というか、美術史だったら印象派とか哲学だったら近世とか、そういう王道の研究ではなくサブカルチャーや現代思想を含めたマイナーな研究をしている人が多く集まっていたことだ。日本では「表象文化論」がそういう傾向を概括する呼び名として一般的になっている。それで、僕が今担当しているのも立命館の先端研の表象領域の演習で、やはりいろんなジャンルの発表を聞くことになる。全体的な印象として思うのは、マイナーなことを地道にやってもしかたないよなということで、というより、これが古式ゆかしい文学部的なものに比してマイナーなものであるという意識がそもそもないのかもしれないということだ。確かに表象文化論的なもの、カルチュラル・スタディーズ的なものはマイナーなものを地道にやることを理論的・制度的に支援してきたが、第一にそういう枠組み自体が危うくなってきているし、第二にそうは言ってもメジャーなものに対する「カマし」があってこそのマイナーなのではないかと思う。フェルメール研究であれば絵から消されたキューピッドの復元は大事件だが、そんな「些事」が研究に値することの奇妙さを、自分のやっていることに跳ね返して考えることも必要ではないか。ということをこないだ発表を聞きながら考えていて、でもこれは今言うことじゃないなと思っていたのをさっき思い出してここに書いた。

日記の続き#16

丸亀製麺まで来たところで、もう暑いくらいで、蕎麦の方が食べたいなと思い少し野毛の方に歩いて蕎麦屋に入った。かき揚げの付いた盛り蕎麦。テレビで宮根誠司が喋っているのが聞こえる。センテンスレベルでしっかりした言葉で早口なのにいやらしくない。学者にこういう喋り方ができるだろうかと思うがよくわからない。道頓堀に中継が繋がれて、看板を少年に蹴り壊された蟹料理屋のリポートをしている。店長はもちろん腹が立ったが、確かに時短営業で迷惑をかけているし、自分はクリスチャンなので許したと言っているらしい。混乱しているうちにその大きな蟹の看板を作った人が紹介され、対して東にはこの人がと東西看板作家対決になっていた。混乱しているうちにCMに入り、小エビやグリーンピースが入ったかき揚げをかじりながら、夏が始まったのかと思った。(2021年4月20日

日記の続き#15

妻、という言葉を飲み込むタイミングを逸したホルモンみたいにもてあましているのだが(いちど事務的な電話を受けてそれは妻が、とか言っているのを彼女は目を丸くして見ていた)、とにかく妻が、急にキックボクシングを始めた。そういう突拍子もないところがある。昨年の大晦日に僕がRIZINの配信チケットを買って見ていると、結局彼女も8時間ぐらいずっと熱心に見ていて、いつの間にかいろいろ調べてサバットというフランスのキックボクシングみたいなやつの教室に通い始めて、そこは毎回体育館を借りてやっているので好きなときに練習ができないと言って別のムエタイ主体のキックボクシングジムにも通い始めた。グローブとかボクシングシューズとか、マウスピースとかがどんどん届いて、練習用のパンチングミットまで届いた。結婚もびっくりだがそのうえ妻のミット持ちをすることになるなんて。誰よりも気安い関係でもあるが、バイトの初日でたまたま一緒に新人研修を受けているみたいな、互いに対する無知が岸としてある吊り橋効果みたいな、不思議な関係だなと思う。