日記の続き#4

これはあくまで投稿をリアルタイムで追って読んでいる人にしか関わらないことなのだけど、この日記の続きは前日に書いたものを投稿している。初回を投稿したときに#2まで書いていて、そのままその1日分のバッファが溜まっているからだ。明日投稿するものを書いて、昨日書いたものを投稿する。前回1日の出来事を3回に渡って書くことを「キャッシュ」が溜まるようだと言ったけど、つまり、内容面には日々に書き出しが置いていかれる遅れがあり、執筆面には書き出しと投稿を引き離す先回りがあるということになる。しかしそもそも「リアルタイム」とは何か。その日のことをその日のうちに書けば何かリアルタイムっぽさがあるが、その「ぽさ」はそのつどの投稿そのものに宿るというより、投稿と日々の区切りの一致の恒常性に宿るような気がする。共時性はヒューム的な信の水準にあると言い換えられるだろう。YouTuberの毎日投稿は信用の積立だ。その信用はキャッシュとバッファの押し引きを調停する作業に向けられている。僕も日記を書いていてそういう信用を引き受けているような感覚があった。それは書き手/読み手にとってどういう意味があるんだろう。この「続き」もそういう信用を生むだろうか。むしろその脆さを見せることになるのだろうか。