日記の続き#10

前回の続き。4つの小石と4つのポケットの理想的な循環は、それを舐めるモロイの行為の継続性や記憶の持続性に頼らないかたちで(いずれも彼に期待するのは難しい)、あくまで石とポケットを軸に形成されなければならない。だからこそ前回の後半に書いたふたつのツッコミは成り立たないわけだ。とはいえ、『モロイ』を読んだのは何年も前——ハタチくらいだったんじゃないか——で、ここで話していることがどれくらい作品に即しているのかぜんぜんわからない。ひとつ確かなことは、こうした試行錯誤を繰り返した挙句、モロイはあれほど執着した小石をあっさりと捨て去ってしまうということだ。有限な要素と、その組み合わせの可能性の走査。ドゥルーズはその果てにあるものを「消尽(épuisé)」と呼んだ。消尽されるのは可能性だけでなくモロイでもあり、小石を投げるより前にすでに彼は流刑者のように大地に投げ出されている。毎日1箱のハイライトメンソールとともにある生活のなかでときおりこのエピソードを思い出す。#7の話に戻れば、何かを数えることのなかでは自立も依存も区別できないということだ。あなたが日々数えているものは自立の手段だろうか、依存の対象だろうか。数えているとそれがふと小石みたいに素っ気ないものに見えてくるかもしれない。投げ出して横たわっても、立ち上がって別のものを数えるだけだ。