日記の続き#13

今年度の研究費をもらうための研究計画書を書いた。研究費を管理している大学の部署に提出するわけだが、誰が読むのかも誰か読む人がいるのかもわからないままに書くのはかなり変な感じがする。以下は変な感じがしながら書いたものの一部。

……このうち本年度の研究において中心となるのは、ドゥルーズにとって体系としての哲学はどのようなものであったかという問いである。彼は哲学の体系を、諸々の「概念」からなるネットワークのようなものとして構想した。これは論理やテーゼを哲学の本体とする考えからすると奇妙な主張だ。しかしドゥルーズは、哲学を概念の実践として捉えることで初めて、スピノザ哲学なりニーチェ哲学なりが、ひとつの体系として把握可能になると考えている。つまり、ひとつの哲学が「閉じられる」ためには、論理やテーゼには還元できないものとして概念が必要だということだ……

それで?という問いが振り切れないものとして頭にこびりつく。だから本を買わせてくれということなのだけど。この「だから」がすんなり通ってしまうことのほうが僕にとっては謎なのかもしれない。すごい変なことだ。