日記の続き#23

1992年6月4日、岡山県井原市生まれ。申年、双子座、血液型はB型。高校を出るまで井原市で過ごしたが、小6までは県営住宅に住んでいて、そこから同市内に父が建てた一軒家に引っ越した。県営住宅はいわゆる団地なのだが、なぜかわれわれはそれを「住宅」と呼んでいて、今思えばそこには大人たちの微妙な屈託が隠されていたのかもしれない。3つの部屋がそれぞれ居間、両親の寝室、私とふたつ上の兄の部屋になっており、両親の二人暮らし時代の名残なのかいちおう台所にダイニングテーブルがあったが食事はもっぱら居間のこたつ机で食べていた。われわれの部屋は1階にあり、ベランダの周りを小さな庭とする権利が与えられていた。庭を囲う柵の向こうには農業用重機を売っているヤンマーの販売所があり、私が覚えている最初の頃から薄暗いフロアに田植えの機械がぽつんと置かれているだけで、やっているのか潰れているのか最後までわからなかった。ベランダは80センチほど中空に取り付けられており、その下の年中乾いた砂には猫のフンや蟻地獄の巣がたくさんあった。ヤンマーの隣はこれは完全に人気のない木造の廃墟で、忍び込むと床を貫いて竹が生えており、畳は砂だらけだった。「住宅」をかすめるように南北に伸びる国道313号線を渡ると私が生まれた井原市民病院がある。あそこで生まれてここに住んでいるのだとよく思った。国道には子供の私にはあまりにも巨大なオレンジ色のダンプカーがいつも列をなして、山から切り出した石を積載してアスファルトを踏み締めていた。砂はそこから来たのだろうか。少なくともそういう文字通りの吹き溜まりに生まれる最小の砂漠から私は出てきたのだと思う。