日記の続き#4

これはあくまで投稿をリアルタイムで追って読んでいる人にしか関わらないことなのだけど、この日記の続きは前日に書いたものを投稿している。初回を投稿したときに#2まで書いていて、そのままその1日分のバッファが溜まっているからだ。明日投稿するものを書いて、昨日書いたものを投稿する。前回1日の出来事を3回に渡って書くことを「キャッシュ」が溜まるようだと言ったけど、つまり、内容面には日々に書き出しが置いていかれる遅れがあり、執筆面には書き出しと投稿を引き離す先回りがあるということになる。しかしそもそも「リアルタイム」とは何か。その日のことをその日のうちに書けば何かリアルタイムっぽさがあるが、その「ぽさ」はそのつどの投稿そのものに宿るというより、投稿と日々の区切りの一致の恒常性に宿るような気がする。共時性はヒューム的な信の水準にあると言い換えられるだろう。YouTuberの毎日投稿は信用の積立だ。その信用はキャッシュとバッファの押し引きを調停する作業に向けられている。僕も日記を書いていてそういう信用を引き受けているような感覚があった。それは書き手/読み手にとってどういう意味があるんだろう。この「続き」もそういう信用を生むだろうか。むしろその脆さを見せることになるのだろうか。

日記の続き#3

なか卯に行きたいなあと思っていて、こんなとこにあるやんかと思って入ったらやよい軒だった。(2022/04/06/AM07:59

寝ぼけているのかもしれない。京都に着いた。これからしばらく毎週来ることになる。


ここのところ去年書いた日記を自主制作で本にする準備をしている。その校正作業で1年分の自分の日記を4周くらい読み返して俺は何をしているんだろうと思った。でも、長短に関わらず機械的に1ページに1日の日記を割り振るレイアウトにしていて、伸び縮みする日々をパラパラと跨いでいくのは気持ちよかった。マックのポテトを1本ずつ口に運んでいるときにしか訪れない放心のようなものがあるが、それに似ている。この日記の続きはそういう感覚をもっと重層的なやり方で作れるんじゃないかと思って始めた。とはいえまだ大雑把な方針しか決まっていない。毎日投稿すること、タイトルを日付じゃなくて通し番号にすること、日記的な記述と去年の日記と書きながら考えたこと思い出したことを混ぜること、これくらいだ。でもやってみたらまだ初日に書いた高速バスの話を引きずっているし、キャッシュが溜まってブラウザが重たくなるように日々に書き出しが遅れを取っていて、3日目にして変なことが起こっている。

日記の続き#2

あの知らんおっさんは今何をしているのだろう。彼のほうが肩身の狭い思いをしていたのかもしれないと思うと申し訳なくなってきた。真っ暗なのでスマホを開くのも気が引けるし、イヤホンのノイズキャンセルだけ付けて、正面のカーテンから透ける電灯の光が飛び去っていくのを眺めていた。浜松のサービスエリアで休憩。午前3時半。煙草を吸って戻る。YouTubeで「sleep classical music」と検索して最初に出てきたプレイリストを開く。最初は「ジムノペディ」か「月の光」だろうなと思ったら「月の光」だった。やれやれと思ったが結局眠っていて、草津に着いたのが6時。煙草を吸って戻って、京都に着くまで朝日がちらつく車内で自分の位置が動くのをGoogleマップで眺めていた。

地方で育った人間にとって、東京はバスタ新宿から始まる。強張った体を引きずって目についたマックで朝食を食べる。大量の紙袋を持った老人がテーブルに突っ伏している。悪そうな中学生が店の電源で髪を巻いている。バスタが「バスターミナル」の略であることに気づいたのはずっと後のことだ。これはいつの記憶だろう。高速バスもマックも、そういう分身的な記憶の殺到が起きやすい空間だ。

日記の続き#1

横浜駅の高速バスターミナルの待合に座っていると、名前を呼ばれた。付いてきてくれと言われて付いていくとビルの外に20人ほど並んでいる。声をかけてきた人と同じ黄色いベストを着た人が引率の先生みたいに列を引っ張ってバスが停まっているところまで歩く。指定された席は独立した三列シートのいちばん前の真ん中。冷たいガラスに頭を付けて、カーテンの隙間から外を眺めたりするところを想像していたのに。正面に40インチくらいの大きさで見えていた景色も出発するとすぐにカーテンで遮られて、車内灯も消えて真っ暗になった。すっかり忘れていたが高速バスで楽しいのは昼行バスだけなのだ。夜行バスに初めて乗ったのは高校生のとき、当時付き合っていた人とその友達が東京にライブを聴きに行くと言って、ふたりだけだと心配だから付いてきてくれと頼まれたときだった。そのときも今思えばさんざんだった。まず岡山の倉敷から東京まで12時間もかかる。そのうえ4列シートだったので、とうぜん彼女と友達が並んで座り、通路を挟んで僕は知らんおっさんの隣だった。ぜんぜん眠れなかったが、帰り道——1泊もせずにまた12時間かけて帰ったのだ——のことは覚えていないので、さすがに疲れて寝たんだろう。