日記の続き#43

日記についての理論的考察§7 (各回一覧
ドゥルーズは90年代初頭の段階で「イベント=出来事」が完全に商業的な領域に飲み込まれてしまったことを嘆いていた。モノ消費からコト消費へとよく言われるけど、30年前からそういう傾向に対して警戒していたわけだ。ドゥルーズ初期の『意味の論理学』は物体的な因果性をはみ出す出来事の存在論を体系化した本だったけど、そういう非物体的な次元はその後20年ほどで「付加価値」に置き換わってしまった。もちろん彼はそれでもうイベントなんて言ってたってダメだと言ったわけでなく、むしろイベントの商品化に抗うような出来事論を組み立てていった。これと似たような道筋を辿ったのが「コンセプト=概念」で、ドゥルーズはこれについても、概念は哲学が創作するものであるはずなのに商品の気の利いた惹句になってしまったと述べている。老境の彼は自分が長年取り組んできたものが資本の運動に簒奪されていく寂しさを感じていたのだろう。そういうのってどういう気持ちなんだろうか。哲学ってコンサルに使われてるんですよなんてとてもじゃないけど彼には言えない。僕なりの応答として、出来事が体験であり概念が広告であることがほとんど所与になった世界で、そういう世界が作った通路の吹き溜まりにイベントレスな日々を、コンセプトレスな散文で書いている。