日記の続き#77

他人事ながら見かけるだけでちょっと暗澹たる気持ちになるのだけど、アマゾンで本のレビュー欄に配送状態についてのクレームが書かれているのはとても示唆的なことかもしれないと、今、京都からの帰りの新幹線で持ってきた本のページがふやけたようにうねっているのを見て思った。田んぼに水が張られて、京都からは修学旅行生が消えて、梅雨が来た。たしかに空気はじとっとして、僕もクセ毛のうねりに困っているが、だからといって届いたときから本のページまでうねっているのはおかしいんじゃないか。批評が機能しない、あるいはこれからはポスト・クリティークなのだという批評をめぐるネガティブな態度決定の手前に、作品についてのメタ言説がプラットフォーム批判にスライドしてしまう、アマゾンのレビュー欄のクレームから新聞広告のキャラ絵への批判やネット右翼本を置く書店への批判までを覆っている、この漠とした、しかしそれ自体実定的な現象について何か言うべきではないか。舞原駅に停車した。ひかりに乗って帰っていて、車両を独り占めしている。昨日は夏至だったらしい。どうりで日が長い。そういえば去年の日記のどこかに、アマゾンのレビューで一人称を「評者」にして書いているひとを見て、それってなかなか思いつくことじゃないという話をした。「評者」氏も配送状態クレーマーもそうだけど、そこがどこかなんて気にして書く人は僕が思っているよりずっと少ないんだろう。それは祝福すべきことのように思う。そういう言葉が転がっているのがインターネットのいいところだ。