日記の続き#102

まとまりのない一日だった。夕方に早めにお風呂に入って、晩ご飯を食べると眠くなって布団に入って、起きると夜中の1時くらいでそれから翻訳を進めたり『存在と時間』を読んだりした。4時ごろに黒嵜さんから起きていたらちょっと話そうと連絡があって、結局朝11時くらいまで喋っていた。ハイデガーはデカルトの世界概念を批判的に検討していて、デカルトが物体的なものの本質を延長とする議論が取り上げられていた。デカルトはもし物体が、それに私が手を伸ばすのと同じ速度で私から離れていくなら、私はその物体の固さを感じないが、だからといってそれでその物体が存在しないとは考えないだろうと言った。固さと同様に色や形や運動(いわゆる「二次性質」)はそれらを物体から取り去っても物体の存在は消えないが、延長のない物体はありえないと。この結論やハイデガーの批判はともかく、私の運動とあまりに一致しているので感知されない物体の固さというイメージによって、ふだん明白に区別されている固さと運動が頭のなかで識別不可能になり、この混乱からの防衛反応として延長が持ち出されているように思えて、それがとても面白かった。思いのほか重たいものが地面に釘付けされているように感じたり、思いのほか柔らかいものが手から逃げたように感じるときの、一瞬の認識のバグ。延長は運動でも形でも固さでもないのではなく、運動だと思ったら柔らかさだった、というときの「と思ったら」を埋めるパテのようなものなのかもしれない。(2021年12月20日