日記の続き#108

博論本こぼれ話。第3章は「地層概念の地質学」という名前で、ドゥルーズの地層概念が1980年の『千のプラトー』から85年の『シネマ2』を介して91年の『哲学とは何か』に至る変遷のなかでどのようなことが起こっているかということを分析している。その推移において、最初は客観的なシステム論の構成要素であった地層概念は方法論的なレベルに食い込んできて、さらに哲学的体系を論じる際の重要概念になる。言ってみれば地層概念はどんどん「手前」にせり出してくるような運動を辿っている。博論の時点ではこの運動の追跡について、レオ・スタインバーグがピカソの「アヴィニョンの娘たち」の分析で、数十枚のデッサンから作品に至る過程で中心に置かれたテーブルが絵の下辺(つまり手前側)にどんどん飲み込まれていくのを発見したのと類比的なものなのだと説明したが、それはややこしい話をややこしい比喩で説明していてよくわからないので、とりあえず消した。比喩のことは概念的な説明が十全にできてから考えればいい。これは別の話だが、スタインバーグが面白いのはそうした習作をまたいでなされる変化を「アクション」と呼んでいることで、もちろん構図の変化は人物の行為や作品世界の通時的変化を反映しているわけではないからパラパラ漫画的なアクションでもないし、演劇的な意味でのアクションでもない。この「アクション」はどこに存在していて何によって担われているのか。