日記の続き#105

また朝まで起きていて、布団に入ったがなかなか寝付けなかった。今年で30歳で、1ヶ月は31日だから毎日書けば0歳から30歳までのことが書けるなと気づいて、それでいろいろ考えていたら眠れなくなってしまった。「三月の5日間」ならぬ「八月の30年」という名前の日記内連載にしようとか、それぞれの年について何を書くかとか、アイデアと思い出が一気に押し寄せてくる。この日記の続きの書籍版レイアウトの案も思いついた。ポッドキャストの企画も思いついた。雑誌の特集も思いついた。父親が子供の頃、兄に脱穀機のなかに手を突っ込んでみろと言われて、突っ込んでみたら回転する歯で中指の先っぽが吹っ飛んだという話を思い出した。たしかに彼の右手の中指の先端から1センチくらいのところに傷跡が指輪のように一周していた。完全に切断されたがまた生えてきたらしい。父の昔話はケガの話ばかりだった。あと思い出したのは、小1の俳句を作る授業で、できたらそれを先生に耳打ちしにいくという仕組みで、そういえば「いいとも」のクイズもみんなタモリに耳打ちしていたということ。

日記の続き#104

1ヶ月以上苦戦していた博論本第三章のリライトにやっと目処がついた。とくに博論執筆時から処理に困っていた節があって、そこはもう合計5回くらい書きなおしているのだけど、今回でやっとしっくりくる形になってよかった。書きなおしは知的な作業であるよりテクストや過去頑張った自分に寄りかかろうとする惰性を克服する精神的な修練に近い。実際、既出の文章を集めた側面はあるとはいえ実質的には4ヶ月くらいで終わった博論の執筆よりなんだかキツいことをやっている感じがする。僕の傾向として、当の文章で扱っている問題の構造に沿って書くのではなくそのために扱っているテクストの叙述の継起にしたがって書いてしまうことがある。それは「だってこう書いてあるんだからそれを説明しないとダメでしょ」という甘えでもあり、『眼がスクリーンになるとき』は全体の構成が論じるトピックの並べ替えと直結していたのでそれでいけたという成功体験へのしがみつきでもある。自分で言うのも変だが、こういうのを捨てるってとても大変なことなのだ。今回のリライトでまた新しい書き方を作れている手応えはあるが、これもまた捨てなきゃいけなくなるのだろう。

日記の続き#103

直近3日間の日記には何か共通の関心があると思う。ひとことで言えばそれは整合性と連続性の関係ということになると思う。われわれはなるべく世界を整合的に把握する。コップを持ち上げるたびに、それが床に向けて引っ張られているようだと思わないのは、手にかかる抵抗をあらかじめ切り取られたその個体の重さとして登録しているからだ。見慣れたコップを手に取ろうとしてそれがびくともしなければ、私はまずコップがテーブルに釘付けになっていると感じるだろうし、コップの重量が20キロになったとは思わないだろう。つまり、個体の重さとして処理できる閾値を超えると不動性として解釈されるのだ。巨岩は重さと不動性のトワイライトゾーンに位置しているからこそ喚起的になる。山を重そうだとは思わない。認識の整合性とは、重さは重さ、運動は運動、硬さは硬さとして、それぞれの個体に安定的に登録されていることを示している。それは主体と対象のあいだのある種の協定のようなものであって、私はコップに1キロ以上の重さになることを認めない。その意味で連続性は認識のセーフティネットであり、整合性の破れについてのメタ的な協定のようなものだ。コップの重さが机+コップの重さになるのは、コップが20キロになることより机とコップの総重量が20キロになることのほうが自然だからだ。咄嗟の言い訳としての連続性。それは存在論的な連続性とはいちど区別して考えてみる価値があると思う。(2021年12月23日

日記の続き#102

まとまりのない一日だった。夕方に早めにお風呂に入って、晩ご飯を食べると眠くなって布団に入って、起きると夜中の1時くらいでそれから翻訳を進めたり『存在と時間』を読んだりした。4時ごろに黒嵜さんから起きていたらちょっと話そうと連絡があって、結局朝11時くらいまで喋っていた。ハイデガーはデカルトの世界概念を批判的に検討していて、デカルトが物体的なものの本質を延長とする議論が取り上げられていた。デカルトはもし物体が、それに私が手を伸ばすのと同じ速度で私から離れていくなら、私はその物体の固さを感じないが、だからといってそれでその物体が存在しないとは考えないだろうと言った。固さと同様に色や形や運動(いわゆる「二次性質」)はそれらを物体から取り去っても物体の存在は消えないが、延長のない物体はありえないと。この結論やハイデガーの批判はともかく、私の運動とあまりに一致しているので感知されない物体の固さというイメージによって、ふだん明白に区別されている固さと運動が頭のなかで識別不可能になり、この混乱からの防衛反応として延長が持ち出されているように思えて、それがとても面白かった。思いのほか重たいものが地面に釘付けされているように感じたり、思いのほか柔らかいものが手から逃げたように感じるときの、一瞬の認識のバグ。延長は運動でも形でも固さでもないのではなく、運動だと思ったら柔らかさだった、というときの「と思ったら」を埋めるパテのようなものなのかもしれない。(2021年12月20日

日記の続き#101

こないだ京都でポッドキャストを収録したあと、左藤さんがお酒を飲む人は日記を続けられないと思うと言っていて、なるほどと思った。お酒を飲むということは一日の仕事の終わりを意味するわけだ。お酒を飲まないし職場があるわけでもない僕にはそういうオンとオフの切り替えをするものがない。寝るまで一日が終わらないというのは考えてみればキツいことなのかもしれない。

昨日の話。ものすごい大雨で、うちはベッドに寝転がると足の先にベランダの窓が見えるのだが、枕を折って高くして、そこから60インチくらいの大きさに見える真っ白な空を眺めていた。夜は彼女が焼きそばを作ってくれたので、お皿を持って立って食べるとお祭りみたいな気分になるよと言った。食後にまた寝転がると雨は止んでいて窓から月が見えた。

日記の続き#100

ついに100番台に突入して、これである程度数字に迫力が出るようになった。去年の日記から数えれば#465になる。こないだのトークイベントで「続き」はどれくらい続けるつもりなのかと聞かれて、いちおう「日記」と同様一年間やるつもりだと答えたら驚かれた。この機会に現時点のいちおうの「つもり」について書いておこう。まず大枠として日記プロジェクトは3ヶ年計画として考えていて、「続き」のあとにまた1年かけて何かを毎日書こうと思っている。せっかくなのでまた「続き」と同様に日記的だが日記ではないものを何らかのかたちでできればと思っているが、それが何なのかはまだわからない(いつかどこかの日記で「映画」を書きたいという話はした)。あと、『日記〈私家版〉』も出したしこの「続き」やその次に書くものもまとめて本にしたいと思っている。これについてはふた通りの可能性を考えていて、ひとつは「続き」を大幅に書き換えて編集をほどこして『日記と理論』という本にしたうえで、来年書くものはまた別の本にすること、そして3年間書いたものをすべてまとめた『日記〈合本版〉』を出すこと。そしてもうひとつは、3年終わったあとですべてをぐちゃぐちゃに混ぜて編集した本と、やはり同時に『日記〈合本版〉』も出すこと。しかし「合本版」は通りがよくないし、すでに出た本をまとめたものではないから正確でもない。『全日記』とかか。いずれにせよぜんぶが一冊にまとまったものもあると面白いと思う。5000円で500部くらいなら売れる気はする。

日記の続き#99

昨夜、新幹線で日記を書いていたときの話。車内が寒かったので鞄から薄手のカーディガンを出して着た。薄手のカーディガンを鞄に入れておくといい。夜ののぼりのひかりの車内は空いていて、それで空調の効きがよかったのかもしれない。昨日書いたとおり一日移動づけで、体が強ばって疲れていた。眼鏡とマスクとイヤホンで耳まで疲れている。イヤホンとマスクを外して鞄の中の文庫本を3冊テーブルに載せる。正岡子規『病牀六尺』、フーコー『知の考古学』、チョムスキー『統辞構造論』。変な取り合わせだが僕のなかでは一貫性のある3冊だ。疲れているので『病牀六尺』を手に取る。「あるいはよそにて借りたる傘を返却するに際して梅の枝を添へて送るにやあらん」という一文を明日の日記に載せようとメモした。両手にそれぞれ傘と梅の枝を持った絵があって、それを見て傘が借り物で梅が贈り物だと思う発想はどこか変で面白いと思ったのだが、一日経ってみるとどう面白いと思ったのか思い出せない。子規の体は六尺の布団が広すぎると感じるほど弱っていたが、他方で僕は六尺のヨガマットでいいからストレッチができる空間がほしい、どうして世界はこんなに広いのに寝転んでストレッチできる場所がぜんぜんないのかと腹を立てていた。家に着いたのが11時半。お風呂に入ってストレッチをして寝た。胸郭がパキパキと音を立てていた。

日記の続き#98

疲れたので新幹線であたう限りだらっとしながらスマホで書いている。今日移動に費やした時間をカウントしてみよう。家と新横浜駅のあいだで30分×2、新横浜駅と京都駅のあいだで2時間×2、京都から立命館大までバスで30分、今日はそのあと京大に行く用事があったのでそこから30分、京大から京都駅まで30分の、合計6時間30分だ。立命館で授業をして、京大の左藤さんに呼ばれて研究室でポッドキャストを収録して、お好み焼きを一緒に食べて、新幹線に乗った。くろさきさんがラジオトークを再開していることに気がつく。話すことはフロントガラスに向かって話すことで、聴くことはサイドガラスから景色を眺めながら聴くことなのだという話。米原駅に停まる (米原が何県なのかいまだにわからない)。そう、これはひかりなので2時間30分かかるんだった。合計は7時間になる。彼といまむらさんと一緒にこだまに乗って福岡まで行ったのを思い出す。ときおり知らない駅で長い停車があってホームの喫煙所で煙草を吸った。たしかあれは2018年の夏のことで、彼らが京都から乗った新幹線に僕が帰省先の福山から合流したのだった。僕の彼女も一緒に来たがっていたのだが、彼女は彼女で帰省先で親知らずの治療をしていて、両親に止められて来られず、悔しいと言って電話口で泣いていた。それで初めてこのひとはすごいな、何か僕とはぜんぜんちがうエネルギーみたいなものがあるんだと思った。11時半くらいに帰ると彼女に連絡した。

日記の続き#97

「要するに、原因はうまくいかないものにしかないのです」
————ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』

昼寝をした方がいい日記が書けるのかもしれないと思い、寝てみたら思ったより寝てしまい日付を跨いでいた。

その日あったことを書くことは、毎日を現在で充填することだ。この場合、起床から就寝までのあいだに食べたものとか会った人とかやった仕事とか何らかのフレームに寄りかかって日々の出来事を圧縮することになる。(いつかまたこの)現在に追いつくための「タグ」。それは日記というより日誌的なものに近づくだろう。この日記は今のところそういうものではなく、日々のスカスカ感、「今日」というものの脆さに寄りかかって書かれている。

今朝、昨日の日記を書くのに1時間もかかり、そのうえあんまりよく書けなかったのでヘコんでいた。昨日は都内に出て人に会って展示を見てといろいろあったし、とくに展示についてはちゃんと書かなきゃと思ってしまいダメだったんだろう。固有名には雑に扱える角度からアプローチする必要がある。とはいえあんまり何にもないと日記について日記で書くことになってしまう。(2021年1月30日

日記の続き#96

8時から1時までひふみさんと多賀宮さんとやっているオンライン自主ゼミがあって、それからあらかじめ作っておいた(偉い)晩ご飯を食べて、コーヒーを入れて日記を書いている。もう2時前。ご飯は冷たい豚しゃぶのサラダと豆腐とワカメの味噌汁だったのだが、いつも使っている鰹やら何やらの粉末が入っている出汁パックがなくて昆布で味噌汁を作って、これはこれで軽くていいなと思った。これはおとついのことなのだけど、こないだ買った淡水パールとカラフルなビーズのブレスレットを着けて出かけていて、それを駅のトイレに入るときに落としたことに気づいておらず、出るときに見つけて拾った。とても気に入っているのでなくさずに済んでほっとしたのだが、同時に、拾ってからそのブレスレットが何か不気味なものに思えてきた。これはどういう気持ちなんだろう。出口で床に落ちているそれが目に入ったときそれは「床に落ちている何か」であり、そのしみったれた「何か」の感じが、拾った今もこびりついているかのようだ。そのしみったれた感じはトイレの床が汚いとかそういうことではなく(厳密にはトイレの手前だったし)、むしろ入口と出口が同じだからこそ発見し得たという事実に起因しているように思われる。そしてそれはいちど裸の「モノ」として眺めたから不気味だということでもおそらくなく、むしろそれが自分を待っていたかのようであったことが不気味なのだと思う。