日記の続き#119

八月の30年——2歳

この日記内連載はどういう意味で「日記の続き」として書かれているのか。すぐに思いつく日記との共通点は毎日書いていること、そして各回の内容の連続性が(必ずしも)ないことだ。日記は昨日の日記の続きを書くわけではなく、その不連続性は日付のあられもない形式性によって作られている。それをある種拡張して、この「八月の30年」ではそれぞれの年齢に引っかけてそのつど思いついたことを書いている。だからこれは30年間を振り返るという意味では日記より強く自伝的なテクストだが、その振り返りかたは31通りあり——そうなるはずだ——それぞれの振り返りのトリガーのあいだに整合性を求めるべくもないので、書けば書くほど散らかっていくことになるだろう。円環的時間の権化であるような暦を円環的時間から脱臼させること。こうして毎日書いているとよく知人との会話で引き合いに出される河原温の日付絵画の何が面白いのかいまだにわからないのだが、僕はあくまで日付とそこに含まれるものとの関係が暦の秩序にどう跳ね返るかということに興味があるのだと思う。それで、2歳、あるいは1994年は僕にとってどのような年だったのかというと、親の話から推測すれば、単語を発したり歩いたりはできるが、ひらがなを書いたり自転車に乗ったり靴紐を結んだりはできない端境期ということになる。前者ふたつは1歳のときに、後者三つは3歳のときにできるようになったということらしい。たしかに団地のなかの道を自転車で走ったり、忍たま乱太郎のイラストが入った袋に自分の名前を落書きしたりしていた記憶が、最も古い記憶としてある。つまり1年ほどめぼしい成果を出さず家で寝転がっていたわけだが、そういう意味で言えばこの1年くらいの僕とあまり変わっていない。