日記の続き#121

八月の30年——4歳

幼稚園には団地の小学生と班になって一緒に歩いて通うことになる。小学校の隣に幼稚園があって、その「本町3班」という班で8年間同じ道を通っていた。考えてみれば半径3キロくらいの範囲にいる小学生・幼稚園生が同じ時間に班ごとに集まって列をなして登校・登園するしくみがあり、それがおそらく数十年にわたって維持されるというのはなかなか途方もないことだ。居住地区ごとに「班」で分けられて、学校では「組」で分けられ——組の名前は数字でなく「いろは」だった。学年2クラスしかなかったのでい組とろ組だけだったが——それがまた机の並びとかで「班」に分けられ、それぞれに飼育係とか連絡係とか特定の機能にも対応している。小学校にはもうひとつ赤・白・青・黄の「縦割り班」というものがあった。これは全学年をまたいだ集団で、掃除場所のローテーションや、運動会のチーム分けに使われる。それぞれの色がさらに6班に分かれていて、たとえば「赤1班」には各学年から数人ずつ所属し、6年生がリーダーとなり掃除や運動会の練習を指揮する。こうしてみると小学校というのはすでにかなり複雑な組織形態が縦横に交差した場であって、物心つくころにはすでにそういうもののなかにいるわけだ。いきおい小学校のことばかり書いてしまったが、幼稚園は年少は「きく組」で年長は「すみれ組」だった気がする。年少のときの担任の先生が、数年後に行った歯医者で受付をやっていた。