日記の続き#123

八月の30年——6歳

尾田栄一郎が今の僕の歳、つまり30歳になる頃に何を書いていたのかふと気になって調べてみると、それは2005年のことで、エニエスロビー篇を書いていたようだ。この歳でもうあそこまで作って広げられるのかと思うと同時に、その後のフランキー、ブルックの麦わらの一味への加入の心躍らなさや情報ばかり増えてキャラクターが白痴化していく展開を思うと暗い気持ちになる。6歳というとちょうど『ONE PIECE』の連載が始まった頃で、桜橋という車の通れない細長い橋で小田川を渡ったところにある、なんだかわからないが職員が常駐していておもちゃがたくさん置いてあって自由に出入りできる児童会館という施設の図書室で読んだのが最初だ。それからも自分で買って読むということはなかったが、高校までは友達の家で、阪大時代は終電を逃したりホテルを取らずに東京に出たときに泊まったネットカフェでそのつど最新刊まで追いつくということをしてきて、いつだったかKindle版を揃えた。キャラの造形がシンプルで見開きの扉絵がいつもお洒落だった初期はよかった。というか、たしか村上春樹に「駄目になった王国」という短編があったが、そういうものを眺めるときの独特のパセティックな感じ——と、この「駄目さ」にはなにか他人事でないものがある気がするという予感——がクセになっていまだに買い足しているんだと思う。それにしてもあの児童会館は結局どういう施設だったのか。何か催し物や講座が行われていたような記憶もないし、ほんとにただひたすら5時まで開いているおもちゃ箱だった。黒ひげ危機一発とかドンジャラとか、スーパーファミコンもあったし、パソコンもあって、友達に触ってみろと言われて触ると、画面がブラックアウトして悲鳴とともに真っ白い女性の顔が映し出されて腰が抜けるくらいびっくりした。入るときに名前と電話番号を、出るときにチェックマークを書かされたのを覚えている。