日記の続き#126

八月の30年——9歳

ふと思い出したことを書くのではなく、こうして年で区切って無理矢理思い出を引っ張り出すのは、暦が刻んだ魂の傷をわざわざなぞるようなものかもしれない。ともかく、団地の同級生、ヒロくんにはペルーからの移民の従兄弟がいて、なぜか彼が団地にやってくるたびに僕は彼と喧嘩をしていた。当時地元にはペルー人がちらほらいて、しばらくしてから中国人の女性をよく見かけるようになった。若い大人の女性が連れ立って自転車に乗っているとそれだけで目立つので、すぐに中国人だとわかる(そもそも「若い大人」が珍しいのだ)。最近はベトナムから来る人が多いらしい。僕の叔母は地元の工場——たしかコンビニ弁当とかのプラスチック容器を作る工場だ——で働いていて、よく職場の外国人と仲良くなって彼らの地元に呼ばれて遊びに行ったりしているひとで、数年前の正月に彼女からその話を聞いた。僕もペルーに呼ばれるくらいの仲になるべきだったのかもしれない。でも彼はとても乱暴で力が強くて、いちどなどアイアンクローの爪がおでこに刺さってかなりの深手を負ったこともあったし、いつも組み伏せられて終わっていた気がする。それにしても目を合わせるたびに喧嘩をしていたのは僕がレイシストだったからなのか、何か他の因縁があったのか、思い出せない。