日記の続き#127

八月の30年——10歳

学年の終わりの文集に宝物を書く欄があって「Aバッジ」と書いた気がする。後年それは岡山県の小学校でだけ配られるものだと知ることになるのだが、毎年行われる体力テストで総合点がAになるとその小さなバッジがもらえるのだ。僕は小2から小6までの5個持っていて、同級生で6年制覇したのはあっくんだけだった。彼は中学に上がると3年生の女子がわざわざ見に来るくらいきれいな顔をしていて、彼のオスグッドの膝の出っ張りさえクールに見えた。それで運動するときは膝に黒いサポーターを巻いたりするのだからたまらない。小学生というとよく一緒に遊んだり疎遠になったり、いじめたりいじめられたりと無軌道に入れ替わる場所だったが、あっくんとも一時期よくふたりで遊んでいた。たいてい彼の家の応接間でゲームをしたのだが、任天堂64の『ゴールデンアイ007』という大人っぽいゲームで、しかもFPSなんてとうぜん触ったこともないし何が何だかわからずぜんぜん勝負にならない。それでいつも彼と彼の兄が対戦しているのを眺めていた。でもソファというものが珍しかったのでそれでも楽しかった。鮮烈なソファ体験というと、小2の年だったが、僕が住んでいた団地の近くに別の団地があって、そこに住んでいる同級生のミサキさんのところに遊びに行ったときにソファがあって始終跳ね回って遊んでいた。翌日学校に行くと家に行ったことを別の女子にからかわれ、僕とミサキさんが一緒にシャワーを浴びているところを描いた絵を見せられた。なぜ絵なのか。なぜシャワーなのか。数年後にはからかう手段もいくぶん洗練されて、使い捨てカメラで僕を撮影して、僕が好きな子——だと彼女らが思っている人——にそれを渡すと言ってくるというものになった。それはすごく嫌だった。図星だったし、意味がわからないし。そういえばあっくんとは、中1のときに彼が母親と一緒に福山に変形の学生服を買いに行くのに呼ばれてついて行って、彼女にワンタックがいいのかツータックがいいのかと聞かれて、「タック」が何のことかわからなくて何も答えられなかったということがあった。あれはなんだったんだろう。