日記の続き#202

毎週水曜は京都の日。起きてコーヒーを入れて、飲み終わる前に家を出る時間になって半分くらい捨ててしまう。先週もこうだった。たぶん先々週も。なんとかしてコーヒーは飲みたいので新横浜のスタバで飲み物を買う。スタバのコーヒーはおいしくないという思い込みもあってトリプルエスプレッソラテを頼み、それを片手に持って改札のなかの喫煙所に入るのだが、長居されないように水平の台がまったくないので、煙草を取り出すためにカップをいちど床に置いたりしないといけない。これも先週も、先々週もそうだった。ただ今週は普通のドリップコーヒーにして、やっぱりまあまあだけどやっぱりコーヒーのほうが落ち着く。それで、席に座って、ひとりしか入れない喫煙ブースにいくタイミングを伺うのが億劫なのでニコチンのガムを噛んでいる。コーヒーと煙草は僕をいつも少しの難民状態にするが、僕はそれが好きなのだと思う。落ち着き始めるとどこまでも落ち着いてしまうタチだからかもしれない。

昨夜、いつも歩かない道を歩いて帰っていると、「乳井 NYUI」と書いた表札があった。

日記の続き#201

道ばたに田原俊彦の写真に「ロマンスでいいじゃない」と書かれたコンサートのポスターがあって、その底抜けのエンターテイメントに励まされるような気持ちになった。こないだもトークの前に、ロバート秋山が博多のクリスマスマーケットの営業で「都か区か」を歌っているのを見て元気を出した。地方の、客席もなく出店に囲まれた舞台で屈託なくパフォーマンスをしていてこういう人は本当に偉いなと思った。

アークティック・モンキーズの新しいアルバムが出てここ数日聴いている。ファーストアルバムは2006年で、僕が14歳のときだ。ロックで言えばニルヴァーナ、ソニック・ユース、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドと時代を急降下するなかにあって、アークティック・モンキーズは唯一と言っていいくらい、この若さは僕の若さでもあると思えた、それから一緒に歳を取っている感じがするバンドかもしれない。アレックス・ターナーが長髪になったくらいからアルバム2枚ぶんくらい聴かなくなっていたが、今回のアルバムはほとんどナショナルズやアラバマ・シェイクスみたいなしっとりした曲ばかりで、本当に大人になってしまったんだと思って、ファーストアルバムのA Certain Romanceを1曲リピートで聴き返しながら帰った。

日記の続き#200

アパートの向かいのまいばすけっとに煙草を買いに行って、ハイライトメンソールと言うと、年齢確認できるものはありますかと聞かれて、いや、いま携帯しか持っていないんでと言うと、年齢確認できるものがないとお出しできませんと言われ、でも僕ここで毎日のように買ってるんですけどと言うと、でも年齢確認できないと、と言われ、そうですかと言って出て行った。「僕は平成4年6月4日生まれです。何歳かパッと言えますか。29歳です。僕は29歳なんですよ。29歳の人に免許証を出せと言うのはあまりに馬鹿げていませんか」とか「僕はそこのアパートに住んでるんです。財布を取りに行くのに3分もかかりません。こんな嘘をついてもしょうがない。それで僕が取って戻ってきて、確認して買っても、誰もいい思いはしません。僕は面倒だし、あなたも一度聞いてしまって引くに引けなくなってるだけでしょう」とか言葉が湧いてくる。財布を手に戻るとその人がああ取ってきてくださったんですね、たいへん申し訳ございませんでした、平成4年ですね、申し訳ございませんとしきりに謝っていて、やっぱり誰もいい思いをしないんだと思った。しかし彼女も、いくら顔半分がマスクで隠れていて平日の昼間から部屋着で煙草を買いにくる若者が珍しいからと言って、本当に僕が未成年だと思ったわけでもないだろう。それは口を突いて出たのだ。法が喋る。法の前では説得も謝罪もあまりに虚しい。その虚しさがまた虚しい言葉を呼ぶ。そうしてひとは傷つく。そういう順番だ。(2021年11月8日

日記の続き#199

こないだフクロウを連れたおじさんが座っていたベンチで、今日は80歳くらいのおじいさんとその娘らしき人がいて、おじいさんが煙草を咥えたまま娘をマッサージしていた。肩、背中、首、それから頭まで慣れた手つきで指圧したり叩いたりしていて、それが仕事だったのだろうと思った。

春菊がたくさん余っていたので、牡蠣と生クリームを買ってパスタを作った。塩水で洗って小麦粉をまぶした牡蠣をバターで焼いてバットに出しておいて、フライパンにバターを足して生クリームを入れてひと煮立ちしたら春菊を入れて、牛乳でとろみを調節して、塩と胡椒で調味して、茹で上がった麺と牡蠣と合わせる。美味しかった。

日記の続き#198

京橋のギャラリーでトークの日。昼過ぎに日本橋まで出て、あらかじめ調べておいた高島屋のメガネ屋でメガネを買った。すぐ持って帰れるものだと思ったら、2−3週間後にデンマークから届くらしい。建設中の戸田建設の新社屋の隣にある小さな建物のなかにギャラリーがあって、今回の佐々木香輔さんの展示は新社屋で本格的に始まるらしいアート事業の一環として作られた賞の受賞者としての個展で、そこに僕が対談相手として呼ばれた。ギャラリーに入るとマスクをした人から次々と名刺を渡されて、顔と照合できないので純粋名刺だなと思った。初対面の人との対談は久しぶりで、やはり「理論的解説」を求められたときにどこまで「身売り」するかが難しい判断だなと思い、正直にそういう話をしたうえで話せたのでよかった。こちらは作家本人としてはトリビアルなものだと思っている技術的な工夫やトラブルから話を広げたいし、あちらはすでに出来上がったものに対する、僕としてはまったく頭を使わなくてもできる言説的な拡張を求めているわけで、いままでそういうすれ違いに対してその場で明示的に投げかけるということをしてこなかったのだが、変なサービス精神を発揮して後で悶々とするくらいならその場で言ったほうがいいのだ。写真展ということもあるからか、普段僕が接するの現代美術の人とは微妙に客層が違っている感じがして、なんだか可能世界に紛れ込んだみたいで、自分がどういう「含み」の共有された世界に生きているか確認できたのもよかった。打ち上げに来た佐々木さんの友達が面白い人で、分厚いノートにトークのメモを縦書きでバラバラと書いていて、その席で僕がAdobeソフトの歴史的研究が必要だと思うという話をしているとページの真ん中に縦書きで「Adobe一揆」と書いていて、ノートの使い方として参考になった。

日記の続き#197

珈琲館で作業をしていたら、店長が水を持ってやってきて、コロナ対策の紙を指さしながら90分までのご利用でお願いしておりますのでと言った。時計を見るとたしかにもう3時間くらいいるが、ほとんど毎日来ていてそんなことを言われたのは初めてだったし、長居するときはいつもおかわりするようにしているのでなんだか寂しい気持ちになってしまった。世間話をしたりはしないが、僕が炭火珈琲を砂糖だけ入れて飲むことだってバイトのひともみんな知っているし、自分は「常連」だと思っていたのに。そそくさと出て公園で煙草を吸って、スーパーで夕飯の材料を買って帰った。

日記の続き#196

また京都。昼ご飯を食べる時間がなくてキャンパスの隣のファミマでウィダーインゼリーを買って食べて、授業が終わるともう6時半で、同じファミマで千葉さんと1本煙草を吸って別れた。疲れてバスを待つのが面倒なのでタクシーで円町駅まで出て、京都駅で弁当を買って逃げるように新幹線に乗る。売り切れた駅弁が多く、あまり気の進まないチキン南蛮弁当にしたのだが、席に座ってちっちゃいテーブルでちっちゃくなりながら冷たいチキン南蛮を食べていると悲しくなってきた。ロクにご飯も食べずに京都に直行・直帰する悲しみでもあるが、これは教師に固有の悲しみでもあるかもしれないと思った。自分が培ってきたものが、無感動な土壌に吸い込まれてしまうような。新横浜駅の外の喫煙所で煙草を吸っているとミズノのサッカースパイクを履いたおじいさんがシケモクを探しに来た。黒のモレリア。僕も履いていた。それを見て少し元気になった。帰ると妻に何を食べたかと聞かれ、チキン南蛮弁当だと言うといいなあと言われた。

日記の続き#195

夜中にツイッターを見ていたら、K2RECORDSが閉店するというニュースが流れてきた。大阪の日本橋にあるレンタルCD屋だ。阪大時代によく行った。1階に邦楽、2階に洋楽があって、とにかく在庫が多くて、たくさん借りるほど割安になって、郵送で返却ができた。家が豊中市で店がミナミなので、数ヶ月にいちど行って30枚も40枚も借りて片っ端からパソコンに取り込んでいた。借りるときはケースから外して、ビニールのスリーブにCDとライナーノーツだけ入れてもらう。オウテカとか、ジョニ・ミッチェルとか、ボアダムスとか、憶えているものもあるが、大半はいちど聴いたきりで返していた。それでも少なくともいちどは聴いていたのだ。気に入るかどうかわからないアルバムを通して聴くことなんてなくなってしまった。取り込みの速度と、ライナーノーツを読む速度と、曲が進む速度と。中学から修士まではiTunesの時代で、それはつまり、異なる速度が互いに互いのバッファとなるような時代で、そのはざまで視聴は待機であり、待機は視聴であった。サブスクリプションも、数年前から流行っているらしいアナログレコードも、そうしたズレを許容しないという点において一致している。しかしそのズレに、忘れるかもしれないものの歓待がある。(2021年11月23日

日記の続き#194

珈琲館というカードを午前中に切ってしまったので、いちど家に帰って洗濯と昼食を済ませて関内のルノアールまで歩いて行った。こうして1年半も日記を書いていると、一日の出来事とそれを振り返って書くことという関係ではなく、それこそ洗濯と昼食のようにただ一日のうちにあって互いに無関心であるような並列的なこととして、日記のための領域と非日記的な領域のあいだにいつのまにか効率的な仕切りのようなものができてしまう。それは日記を書く時間が安定的に確保されるということではなく、一日の全体のうちに日記のためのゾーンが僕の頭のなかの思いなしも含めて決まりきってくる。つまり、日記的な洗濯もあれば非日記的な洗濯もあり、本来それをジャッジするのが日記の役割であるはずなのだが、そこを素通りできるほどになってきてしまっているのだ。ルノアールから帰って、茄子がたくさんあるので麻婆茄子にしようと思って、スーパーに挽き肉を買いに行って、茄子をどうやって切るのがいいだろうかと考えながら帰った。「帰り道に茄子をどうやって切るか考える」と日記用のメモに書いて、まだ新しいことはあると思った。

日記の続き#193

近所の公園のベンチに、カフェオレみたいな色のフクロウを連れたおじさんが座っていた。トレーニングのウォーミングアップで走ってばかりなのもどうかと思ってHIIT(20秒間動いて10秒間休憩を繰り返す運動)を7周やったあとに懸垂とスクワットをしたら頭痛と吐き気がしてすぐに帰った。ベンチで休んでいると普段着のおばさんが入ってきて、ルイヴィトン風の茶色いブロック柄のショルダーバッグをルームランナーの手すりに掛けて歩き始めた。先日泊まった宿の庭の東屋に囲炉裏があって、灰のうえでひっくり返ったカメムシが自分の体と同じくらいの大きさの炭の破片を脚で器用に転がしていて、妻にこれは何かと聞かれたのでルームランナーだと答えたのを思い出した。