日記の続き#266

コメダに入ると、シロノワールにかけてコトシオワールと書いたポスターがあって、こういう暢気なのがいいよなと思った。イセザキモールに最近できたとんかつ屋に入ると、客も店員も年寄りばかりで、年寄りがこんなにとんかつを食べるのかと思った。お盆を下げるときに店員が拭いているはずなのだがテーブルが汚くて、テーブルが多少汚れていることを許容させるようなカルチャーを作った点においてファストフードチェーンはけしからんと思った。しかし記憶を遡ると、昔はマックだってもっとこまめにテーブルを拭いていたはずだ。田舎だったからだろうか。

日記の続き#265

一足先に妻が帰省した。ひとりで長いあいだ家にいるのは珍しいので少し羽を伸ばすことができるかなと思ったのだが、思いついたのはトーストに2枚とろけるチーズを乗せることくらいだった。作業をしに出かけて帰ってきてからは、気づいたら胃薬を飲みながらコーヒーを飲んで歯を食いしばりながら何時間もあるゲーム実況の動画を見ていて、これではダメだと思ってゆっくり風呂に入ってスピーカーから音楽を流しながら本を読んだ。弛緩するのにも努力が要る。途中彼女から実家の犬が毛布にくるまって丸くなっている写真が送られてきたのだが、なんと言っていいかわからないので返信しなかった。悪かったなと思って今朝起きてから「おはよう」と送った。

日記の続き#264

論集本のタイトルは『クリティカル・エッセイズ』にしようと考えている。「ポシブル、パサブル」、「スモーキング・エリア」の#1-5と、いくつかの展示の批評が軸になるだろう。問題は副題なのだが、「〈ひとごと〉の肯定」という言葉が思い浮かんだ。僕の書いてきたもの、僕の考えていることはずっとこの問題を扱っていると思う。それはたんに親密なコミットメントをせせら笑うことではなく、ふたりきりでもすれ違うということをポジティブに捉えることだ(いつだったかこの日記にも、親密さとは同じ記憶の共有ではなく互いの記憶のすれ違いの蓄積なのだと書いた)。『眼がスクリーンになるとき』ではそれをリテラリティと呼んだ。博論ではそれを非美学あるいは剥がれと呼んだ。「ポシブル、パサブル」ではそれをデコイと呼んだ。ふたりの出会いを必然化してくれるような「セカイ」は存在しないが、人間にはそれがなくったってやっていけるタフネスがある。そういえば「シャカイ系」ってあるのだろうか。カフカはシャカイ系だろうか。

日記の続き#263

博論本がいまメインでやっている仕事だが、論集本のことも、共訳本のことも、共著のことも、来年始まりそうな連載のことも、連続レクチャーや非常勤講師、そのほかいくつかの自前で、あるいは友達とやりたい企画のこともあって、「今日」するべきことは別にないと言えばないのだが、向こう数年でやることになりそうなことはたくさんあって、それらがひとつの銀河のようにつねに頭のなかで回転している。

それで、昨夜布団に入ってからまたいろいろ妄想が膨らんでなかなか眠れなかった。そのひとつをメモしておく。文芸誌で論考の連載を書くのはなかなか難しい仕事だろう。ひとつは単著スケールの長さの論考を、等間隔で1ブロックずつ書き進めるというのは土台無理な話だ。理論的な話は語彙の統一からプロットの一貫性まであらゆるレベルで、ふつう行きつ戻りつフィードバックしながら書くもので、書き進めるということはイコール「良い改稿」の方針を探る作業でもあるからだ。そして他方で、月刊誌で連載される論考を読んでもらうのもなかなか難しい話だ。そもそも僕自身も連載論考を追って読んだ経験がないし、続けて読まれているというフィクション(?)を自分のなかで維持するのも難しいだろう。

それぞれに対する対策として、書き方は構築的な論考というより理論的挿話も社会評論も個人的な体験も作品評も混ぜこぜにした、あらゆるものに寄りかかって書いた小さいブロックを並べる書き方にする(ブロック間を切り取り線のような破線で区切る)。日記を書いてきてそういう形式に耐えうる文体ができていると思う。そして読んでもらうためには、連載開始前にTwitterのアンケートで「月刊誌の連載論考を追い切ったことがある/ない」を問い、大方「ない」が多数になるだろうから、僕もそうなのだが、だからこそ僕のはほかと違うものになると言う。だいたい書きたいものと宣伝の仕方は同時に思いつく。

日記の続き#262

大戸屋でカキフライを食べて、夕方のイセザキモールを歩いていると、前を歩いていたおじいさんが転んだ。それはつまずいたとか、めまいがして膝から崩れたとかそういう感じではなく、本来であれば「遊び」として処理されるような微細なズレが適切にフィードバックされず、本人もいつから転び始めたのかわからず、気づいたら手に負えなくなっていた不均衡に静かに降参するように尻もちをついていた。座り込んでいる彼の正面にしゃがんで大丈夫ですかと聞くと、二度目に彼は頷いた。目を覗き込むと焦点は定まっていて、ちゃんと力がある。顔色も悪くないし、デニムジャケットにセーターにニット帽をかぶっていて、それは自分で選んだ服に見えたし、まあ大丈夫だろうと思った。彼の表情に僕に対するかすかな怯えが浮かび上がってきた。いつの間にか転んでいて男に話しかけられている。もういちど聞くと強く頷くので、立たせるのはやりすぎだと思ったのか、彼のまなざしにいたたまれなくなったのか、立ち去ることにした。(2021年12月24日

今年の同じ日の話。コンビニに煙草を買いに出る。レジで前に並んだおじいさんが、何か払い込みの手続きをしている。サンダルを履いた裸足は竜田揚げのように白いものに覆われている。彼が立ち去ろうと横を向くと、自分で金を入れるレジから、お釣りの数千円が出たままになっているのが見えた。彼の肩をそっと叩いてからレジを指さして、「お釣りですよ」と一度目は普通の声で、二度目は大きめの声で言った。彼は僕をちらっと見てお札を取って出て行った。その全体として機械的なやりとりにレジの一部になったみたいだと思った。彼の硬いツイードの上着のごわごわした感覚が手に残っていた。

日記の続き#261

一昨日、つまり22日の木曜日の話なのだが、昨日日記を書いたあとでいろいろ思い出したので書いておく。

京都のホテルで起きて、タナカコーヒーで朝食を食べながら日記を書いて、京セラ美術館まで歩いた。小雨だった雨が強まってきて、あと100メートルのところまで来て諦めてコンビニで傘を買った。チケットを買ってロッカーに鞄とダウンジャケットを入れる。美術館でいちばんうれしいのは鞄と上着をロッカーに預けて身軽になった瞬間だと思う。ウォーホルが京都に来て何が嬉しいのかと思いながら展示の導入部を見ていると、1957年の京都旅行の資料として金閣寺の写真のポストカードが展示されていて、これとまったく同じ写真が実家の勉強机のマットに敷かれていたと思った。小学校の修学旅行で買ったものだ。展示は全体としてあまりに大味だった。イラストレーター出身で、京都旅行に来て、ファクトリーを作って、死をテーマにした。あいかわらずウォーホルを重宝がっているユニクロのUTと大差ない解像度だ。図録にすら批評的な文章は載っていなかった。というか、現代美術でおおっぴらに批評避けができるのが珍しいのかもしれない。

また『それから』を聴きながら移動して、京都駅に着いたところで「みちよ」が泣いて僕も涙がこみ上げた。北に見える山脈の襞とその上空のまだら状の雲が複雑な影を作っていた。手前の平野が晴れているぶんそれがとてもきれいに見えた。「だいすけ」と「ひらおか」の最後の談話は長ったらしく感じたが、名古屋辺りで10時間の『それから』をようやく聴き終えて、いい小説だったと思った。新横浜から地下鉄に乗ると、隣の席のおじさんがセガンティーニの絵を貼った名画botを引用して絵の内容とタイトルが合っていないと呟いていた。帰るとAmazonから『絵画とタイトル』が届いていた。

日記の続き#260

日記についての理論的考察§19

2年も日記を続けていると、朝起きた瞬間からその日の日記を書き始めるような回路ができあがってしまう。極端に言えば、起きてすぐ書けと言われればまだ始まってもいないその日についての日記を書くことだってできるだろう。したがって日記を書くというのはその日が終わるまで日記を書いてしまわないようにすることでもある。寝て起きてから昨日の日記を書くことにしているのも、その日の内側で推敲と出来事の帳尻を合わせることが窮屈になってきたからだと思う。

日記の続き#259

新横浜から衣笠のキャンパスまで3時間、結局ずっと『それから』を聴いていた。雲が富士山の麓が黒々としているのを強調して、静岡でいちど晴れ間にさしかかったが京都は暗い天気だった。「だいすけ」はあいかわらず実家で金をもらい、嫁をもらえと詰められていた。バスがキャンパスに着いてやっとイヤホンを外す。世間並みに戻るためにいつもバスから降りるときに外す。ファミリーマートに入ると資格の学校の宣伝がスピーカーから流れている。とにかく腹が減っていたが、食べたいものがなかった。空腹は自分を反抗的な存在にしくれるような気がした。ホットのレモンティーだけ買って喫煙所に出た。発表を6つ——ゲームのルールとフィクションの関係、近代日本語のオノマトペ、武満徹、ゲームのコントローラー、現代アメリカの肥満表象、戦後の東映のメディア戦略——聴いて外に出ると夜だった。

河原町の喫茶店で黒嵜さんと合流すると空の皿がテーブルにあって、腹が減っていて先に食べてしまったというので、僕もすぐにオムライスを注文した。

日記の続き#258

10日ほど前から博論本の書き方を変えてみている。章単位でファイルを分けているWordで書き継いでいるとすでに書いたものを引きずって歩いているようで辛くなってくる。いちどすべての原稿をリッチテキストに変換してScrivenerのドラフトに移設して節ごとに分割し、執筆中の節以外をブラインドできるようにするのだが、これでもすでに書いているものの堅さに圧されてしまう。第4章第4節と第5節のブリッジになる部分を書いているのだが、一文書くごとに当該の節の文章をすべてスキャンしなおさなければならないような重苦しさがある。リサーチ欄に日付をタイトルにした文書を立項して、そこに粗いプロットと原稿のあいだのような文章を箇条書きで書いてみると楽な感じがして、作業メモの延長のように書けばいいのかもしれないと思う。日付をタイトルにしたうえで、2000字ほどのブロックを3日ほどかけて育てる。それができたと思ったら、接続は気にせずに別のブロックを立項しまた3日ほどかけて育てる。そうしてようやく懸案のブリッジができた。これをドラフトに移植して継ぎ目を均すのはまた大変な気もするが、ともかく。2年経ってやっと日記を本業(?)に役立てられるようになったのだ。

日記の続き#257

昨日は一昨夜の夜更かしと今日の早起きのあいだにすりつぶされたようにあっという間に終わったので今日起きてからの話。しばらく前から妻に健康診断を受けてくれと言われていて、そのたびにはぐらかし続けていたのだが今度病院に行くときについでに予約を入れるからと言われて行くことになった。10時間前から何も食べられないから昨夜は早めに寝て、8時に起きて白湯だけ飲んで近所の病院まで歩く。古い小さい病院で、床は木調のタイル、受付の台は墓石のような灰色のテクスチャだ。保険証を渡すと血圧を測ってくれと言われ、機械からプリントされた結果を渡すとトイレで採尿をしてくれと言われた。万事このように勝手にやる感じなのだろうか。カップに名前を書いてくれと言われたのだがトイレにペンがなく、ペンがありませんと言うとそっちじゃなくてこっちのトイレだと言われた。採尿をしたら25mlくらいしかなくて、不安になってその場で「検尿 量」と検索すると25mlあれば十分だと書いてあった。ようやく看護師が出てきて身長と体重を計って血を採った。レントゲン室は家だったら応接間になりそうな位置にあって、ベッドの上にある機械に背を向けて壁に張り付く。壁には戸棚が付いていて、観音開きの扉の片方に学校に寄贈された鏡でしか見ないような書体で「未撮影」、もう片方に「撮影済」と書かれている。アスベストを吸うような仕事はしていないかと聞かれる。看護師が医者を呼びに行って、見えない医者が息を吸えと言ってシャッター(?)を切った。問診を待つソファからは診察室と受付の裏側が同時に見渡せる。棚に収まらないカルテが床の段ボール箱に入れられている。診察室は下痢の若者が触診される段になってやっとカーテンが引かれた。気になるところはないかと聞かれたのでないと言うと、1週間後には結果が出ているはずなのでそっちから電話をするようにと言われた。はいと言って帰った。