日記の続き#228

雨の日曜日。読みたい本の端境期に入ったような格好になり、家の本棚からプラトンの『パイドロス』を出してきて読む。ソクラテスは自分で理論を構築してはいけないことになっているから神がかりの状態になって話すのだが、そのとき顔を隠していた。パイドロスは話さえできればよいと言ってそのことを気にかけない。

夜中にワールドカップの開幕戦をAbemaで見た。ボールに音を検知するICチップが入っていて、それがオフサイドの判定に使われるのだと解説で話される。ビデオ判定の浸透しかり、スポーツのIoT化はANT論者が舌なめずりしそうなテーマだ。しかしこのワールドカップの盛り上がりのなさ、現時点で一向に報道される様子のない開催国カタールの開発における人道問題(6000人以上の死者が出ているという話もある)、ナインティナインの矢部がテレビではなくAbemaに出ていることなど考え合わせると、オリンピックを含むメガスポーツおよびそのイベントの先行きを考えてしまう。オフサイドは副審が裁くものだ。レッドカードは主審が出すものだ。機械がプロとアマチュアのサッカーを分断してしまう。機械の判定を待って明らかなオフサイドを流す審判を見て、これはもう僕らがやっていたサッカーじゃないと思った。ビッグスポーツの人気が下火になる一方で、ランニングやウェイトトレーニング、あるいは武道や格闘技(由来のフィットネス)がそれぞれ盛り上がっているのは、単純にアマチュアが参入しやすく、プロがやっていることと自分がやっていることに連続性があるからだろう。スポーツは「夢」であることを諦める必要がある。

それにしても開催国のカタールに勝ったエクアドルのサッカーは素晴らしかった。ディフェンスラインをタイトに保ちつつも奪ったボールを息巻いて運ぶのではなく、フィールドを広く使って豊富な攻め手を繰り出す伸びやかなサッカーで見ていて気持ちよかった。

日記の続き#227

西川祐子『日記をつづるということ:国民教育装置とその逸脱』(吉川弘文館、2009年)を読み終わったのでいくつかメモを書いておく。

アンネ・フランクはラジオで終戦が近いことを知り、日記の清書を始めたらしい。

矢玉四郎『はれときどきぶた』という絵本は、母に日記を盗み読みされた子供が明日の日記としてでたらめなことを書くとそれが実現するという話らしい。

「ひとりになって考えることではなく、複数の中で一人で考えることが必要なのだ。タバコが飲みたい」(高野悦子からの孫引き)。「スモーキング・エリア」っぽい。

戦前の旧制高校では学校同士で機関誌を寄贈しあっていたらしい。当然書くのも読むのも男ばかりになる。そのなかで日記(からの抄録)は「内面」を共有するメディアとして重宝する。寮内でなかば公然となされる盗み読みによるホモソーシャルな連帯。読むことと盗むこと。

「日記が国民教育装置からもっとも大きく逸脱するのは、日記が持続されることによってなのである」。日記とイエ制度、日記と戦争、日記とフェミニズム、日記と家計簿、日記と住宅などの観点から20世紀日本における様々な主体化のモードを分析する著者が、最後に「〜としての」日記をはみ出す生の持続に賭けていること。

日記の続き#226

重いものを楽に持てるからという理由で学部の頃からリュックを使ってきたが、すこし前から手で持つトートバッグのほうがよいのではないかと思うようになってきた。リュックだと物を出したり入れたりするのに降ろす/背負うというアクションが挟まってきて、それがたとえば電車のなかで本を読んだりすることの微妙な心理的抵抗になってくる。それにこれからどんどん厚着になってくると、上着の着脱にバッグの着脱がくっついてくるし、肩周りの圧迫感もあるし、見栄えもよくないし、とにかくいつの間にか僕の頭のなかでリュックがどんどん悪者になってきたのだ。こうして書いてみると別にどうってことないとわかるのだが、とにかく昨日までそういう気持ちで、横浜駅のNEWoManに入っているブリーフィングに行って、丈夫で雑に扱えそうなトートバッグを買った。気が大きくなったのか、最後まで使い切ったためしがないのにまた分厚いノートも買った。生活の再編という理想が、なにかとても些末なものに賭けられてしまうことは往々にしてある。それは悲哀だが、悲哀だからと言ってそっぽを向けばいいわけではない。

日記の続き#225

静かな日。日記を短く済ませて、外に出て本を読んでメールを返した。1回1万円のレクチャーの依頼に、1万と1.5万では嬉しさがぜんぜん違うので1.5万にしてほしいと言うとすぐにオーケーが出た。

読みさしになっていた西川祐子『日記をつづるということ』を読み進める。子規が『ホトトギス』で読者からの日記を募集して掲載していたことは知っていたが、らいてうの『青鞜』でも全国の青鞜社社員から日記を募っていたらしい。

晩ご飯はクラムチャウダーにしようと思ってスーパーに行くと、小ぶりの黒い韓国産のアサリと大きめの北海道産のアサリがあって、少し値は張るが北海道産のほうにして、帰って酒蒸しにして身を取り出すと思っていた半分くらいの量にしかならなかった。

日記の続き#224

金土日は大阪の学会に行って、月曜の夜は新宿で友達と朝まで遊んで、昨日の水曜は非常勤で京都に行って帰ってきて、バタバタした一週間だった。外出が増えると外食が増える。移動が増えると体がこわばってくる。しばらくのんびり過ごそう。

日記の続き#223

こないだ買ったヴァージニア・ウルフの『フラッシュ——或る伝記』を読んでいる。フラッシュはFlashではなくFlushで、つまり光のまたたきではなくウォシュレットのボタンに書いてあるほうの単語であり、顔の紅潮を意味する言葉でもある。新書サイズの白水Uブックスを読むのがたいへん久しぶりで懐かしい。このレーベルで印象に残っているのはマンディアルグの『狼の太陽』という短編集で、ウルフ(WolfではなくWoolfだが)で狼で、しかもフラッシュは犬の名前なので何か犬的な星まわりにあるのかもしれない。『フラッシュ』はエリザベス・バレット・ブラウニングという19世紀中葉の詩人の飼い犬となったフラッシュの伝記で、生き生きとした描写や犬の目を通して語られるヴィクトリア朝のロンドン、病弱な詩人との繊細な交流はディズニーに映画化してほしくなるような伸びやかさをたたえている。ウルフで犬と言えば僕は『千のプラトー』でいつもどおりドゥルーズ゠ガタリが引用元も示さず引いている「やせ犬が道路を走っている。このやせ犬は道路だ」というウルフに帰せられている一節を思い出す。この本を手に取ったのはそれがどこかに見つかるかもしれないと思ったからでもあるが、ぜんぶ読んでいないのでまだわからないし、そういうのを抜きにして読んでいて楽しい。エリザベスとフラッシュが出会う場面を引用して終わろう。

「どちらも驚いた。バレット嬢の顔の両側には、重そうな巻毛が垂れている。大きないきいきした眼が輝いている。大きな口もとがほころんでいる。フラッシュの顔の両側には、重そうな耳が垂れている。彼の眼も、大きく、いきいきしているし、口は大きい。彼らの間には、似通ったところがある。お互いをじっと見つめ合っていると、どちらもこう感じた。「おや、わたしがいる」——それから、めいめいが感じた、「でも、なんてちがっているのだろう!」」(2021年11月7日

日記の続き#222

新宿でひふみさんと多賀宮さんと会う。エジンバラで待ち合わせて、低劣な居酒屋に入ってしまいすぐ出て、行ったことのある居酒屋に移動すると今度は客が大声で痴話喧嘩をしている。外の喫煙所で煙草を吸っていると駐車場で電話をしている男が牛丼、とんかつ、タコライス、ガパオと叫んでいた。きわめて東京的な身の置き所のなさだ。花園神社の階段に座ってみるが寒く、『ノルウェイの森』に出てくるというジャズバーに移動し、終電間近になって黒嵜さんが合流した。大阪に帰る多賀宮さんをバスタ新宿で見送る。やはり東京と言えばバスタ新宿だ。浮腫んだ脚が並ぶアジール。もう12時を過ぎていたが連絡するとすぐに大和田俊と布施くんが合流して、エジンバラに舞い戻って朝まで喋った。黒嵜さんに会うのは半年ぶりだった。他の誰にも話せないような生煮えのアイデアもここでなら引き受けてもらえる。久しぶりにそういう自由を感じた。

日記の続き#221

結局学会では自分の発表以外ではほとんど誰とも話さなかった。梅田という街がそうさせたというところもあるが、よく言えば初心に帰ることができたのだ。誰とも仲良くなんてしてやるものかと思っていたし、つまんない発表は途中で出て行ってやればいいと思っていた。もう6年ほど前だが、前橋であった学会で、荒川修作について2人の中年の研究者が発表して、彼らが終始荒川を「荒川さん」と呼び司会の小林康夫について「小林先生に叱られないように」とか冗談めかして言っていた。今回はそういう東大表象同窓会みたいな感じはなく、初期メンバーが退官して40代の研究者が中核になってきているような雰囲気だった。善かれ悪しかれみんな優しくて仲が良い。疲れているだけかもしれないが。

昨日と同様空腹のなか会場に着くと、準備をしている人が福尾さんですかと声を掛けてきてどら焼きをくれた(本当に優しい人だった)。地階のスターバックスからケータリングされたコーヒーを飲んで、会場からZOOMに繋ぐ。会場に来たのは僕だけだったが、僕以外はちゃんと発表資料を準備していた。ZOOMだとどうしたって用意したものを話すだけで終わってしまうので内容についてはこれと言った感想はない。とりあえずアプリで時間に余裕をもって新幹線の座席を取っておいて、妻に頼まれたお土産のクッキーを梅田大丸で買って新大阪に向かう。その時点でまだ6時くらいだったのだが、改札に入ってしまうと時間変更ができないことをすっかり忘れていて、2時間も時間を潰さなくてはならなくなった。どこも人が満杯なのでホームに上がってベンチに座って眼をつぶっていた。気温が下がってくる。どうしようもなく疲れていて情けない気持ちになった。人が多すぎるのだ。帰るともう12時で、寝ている妻に声をかけて風呂に入ってストレッチとフォームローラーで体をほぐして寝た。

日記の続き#220

表象文化論学会へ。梅田を西から東へ横断する。茶屋町周辺にはいたるところに思い出がこびりついている。バイトの面接で落とされた居酒屋があった。面接で落とされたのなんてこのときくらいだ。岡山から出てきたばかりで、高校のときにすでに居酒屋で働いていたので落ちることはないと思ったのだが、たぶんものすごく暗かったのだと思う。お腹が空いたが人が多くて外食する気になれず、時間まで周囲をうろちょろしていた。この空腹さえあのときの空腹であるかのようだ。こうして梅田を歩くことと空腹であることのあいだには逃れようのない繋がりがある。会場は地階に蔦屋書店が入ったいけすかないビルで、発表のセッションをひとつ聞いて、非常勤先の学生が発表していたのでその彼に感想だけ述べてすぐホテルに帰った。また阪神百貨店で弁当を探す。とにかくまっすぐな唐揚げ弁当が食べたかったのだが、惣菜屋の島をいくつ周回しても見つからないので牡蠣フライ弁当を買って帰って食べた。夜中に目が覚めて、北新地のうどん屋で肉うどんを食べた。

日記の続き#219

大阪へ。昼ご飯を食べるタイミングを逸して、新幹線のなかでずっとお腹が鳴っていた。どこかお店に入るのも億劫だったので梅田で降りて阪神百貨店の地下で弁当を買ってホテルに向かう。学会は茶屋町のキャンパスであるので近くの堂山のホテルを取ったつもりが堂島のホテルにしてしまった。部屋で弁当を食べて眠る。寝間着として案の定嫌いなペラペラのガウンが用意されている。目が覚めると夜中で、またお腹が空いたので外に出た。大通りを渡ると北新地のメインの通りで、これだけ一挙にハイヒールを履いた女性を見ることもないなと思った。大阪に住んでいたときも来ることがなかった場所なので道がわからない。水商売向けにまだ開いているカツサンドの店を見つけて買った。店先で煙草を吸いながらカツが揚がるのを待つあいだ、自分の食べたいものを自分で作れない環境は辛いなと思った。