日記の続き#197

珈琲館で作業をしていたら、店長が水を持ってやってきて、コロナ対策の紙を指さしながら90分までのご利用でお願いしておりますのでと言った。時計を見るとたしかにもう3時間くらいいるが、ほとんど毎日来ていてそんなことを言われたのは初めてだったし、長居するときはいつもおかわりするようにしているのでなんだか寂しい気持ちになってしまった。世間話をしたりはしないが、僕が炭火珈琲を砂糖だけ入れて飲むことだってバイトのひともみんな知っているし、自分は「常連」だと思っていたのに。そそくさと出て公園で煙草を吸って、スーパーで夕飯の材料を買って帰った。

日記の続き#196

また京都。昼ご飯を食べる時間がなくてキャンパスの隣のファミマでウィダーインゼリーを買って食べて、授業が終わるともう6時半で、同じファミマで千葉さんと1本煙草を吸って別れた。疲れてバスを待つのが面倒なのでタクシーで円町駅まで出て、京都駅で弁当を買って逃げるように新幹線に乗る。売り切れた駅弁が多く、あまり気の進まないチキン南蛮弁当にしたのだが、席に座ってちっちゃいテーブルでちっちゃくなりながら冷たいチキン南蛮を食べていると悲しくなってきた。ロクにご飯も食べずに京都に直行・直帰する悲しみでもあるが、これは教師に固有の悲しみでもあるかもしれないと思った。自分が培ってきたものが、無感動な土壌に吸い込まれてしまうような。新横浜駅の外の喫煙所で煙草を吸っているとミズノのサッカースパイクを履いたおじいさんがシケモクを探しに来た。黒のモレリア。僕も履いていた。それを見て少し元気になった。帰ると妻に何を食べたかと聞かれ、チキン南蛮弁当だと言うといいなあと言われた。

日記の続き#195

夜中にツイッターを見ていたら、K2RECORDSが閉店するというニュースが流れてきた。大阪の日本橋にあるレンタルCD屋だ。阪大時代によく行った。1階に邦楽、2階に洋楽があって、とにかく在庫が多くて、たくさん借りるほど割安になって、郵送で返却ができた。家が豊中市で店がミナミなので、数ヶ月にいちど行って30枚も40枚も借りて片っ端からパソコンに取り込んでいた。借りるときはケースから外して、ビニールのスリーブにCDとライナーノーツだけ入れてもらう。オウテカとか、ジョニ・ミッチェルとか、ボアダムスとか、憶えているものもあるが、大半はいちど聴いたきりで返していた。それでも少なくともいちどは聴いていたのだ。気に入るかどうかわからないアルバムを通して聴くことなんてなくなってしまった。取り込みの速度と、ライナーノーツを読む速度と、曲が進む速度と。中学から修士まではiTunesの時代で、それはつまり、異なる速度が互いに互いのバッファとなるような時代で、そのはざまで視聴は待機であり、待機は視聴であった。サブスクリプションも、数年前から流行っているらしいアナログレコードも、そうしたズレを許容しないという点において一致している。しかしそのズレに、忘れるかもしれないものの歓待がある。(2021年11月23日

日記の続き#194

珈琲館というカードを午前中に切ってしまったので、いちど家に帰って洗濯と昼食を済ませて関内のルノアールまで歩いて行った。こうして1年半も日記を書いていると、一日の出来事とそれを振り返って書くことという関係ではなく、それこそ洗濯と昼食のようにただ一日のうちにあって互いに無関心であるような並列的なこととして、日記のための領域と非日記的な領域のあいだにいつのまにか効率的な仕切りのようなものができてしまう。それは日記を書く時間が安定的に確保されるということではなく、一日の全体のうちに日記のためのゾーンが僕の頭のなかの思いなしも含めて決まりきってくる。つまり、日記的な洗濯もあれば非日記的な洗濯もあり、本来それをジャッジするのが日記の役割であるはずなのだが、そこを素通りできるほどになってきてしまっているのだ。ルノアールから帰って、茄子がたくさんあるので麻婆茄子にしようと思って、スーパーに挽き肉を買いに行って、茄子をどうやって切るのがいいだろうかと考えながら帰った。「帰り道に茄子をどうやって切るか考える」と日記用のメモに書いて、まだ新しいことはあると思った。

日記の続き#193

近所の公園のベンチに、カフェオレみたいな色のフクロウを連れたおじさんが座っていた。トレーニングのウォーミングアップで走ってばかりなのもどうかと思ってHIIT(20秒間動いて10秒間休憩を繰り返す運動)を7周やったあとに懸垂とスクワットをしたら頭痛と吐き気がしてすぐに帰った。ベンチで休んでいると普段着のおばさんが入ってきて、ルイヴィトン風の茶色いブロック柄のショルダーバッグをルームランナーの手すりに掛けて歩き始めた。先日泊まった宿の庭の東屋に囲炉裏があって、灰のうえでひっくり返ったカメムシが自分の体と同じくらいの大きさの炭の破片を脚で器用に転がしていて、妻にこれは何かと聞かれたのでルームランナーだと答えたのを思い出した。

日記の続き#192

わかりやすくイベントフルな日。旅館で妻と朝食を食べて、チェックアウトしてからサロンでコーヒーを頼んで日記を書いて、五月女さんとさちさんと合流して車に乗せてもらって、乙女の滝を見て沼原湿原を歩いてカツ丼と蕎麦を食べて南ヶ丘牧場で牛を見て、那須塩原駅まで送ってもらって、横浜まで帰った。どの移動も20分くらいしかかからなかったし、那須高原は見た目のだだっ広さと観光地の密集ぐあいが不釣り合いな場所だなと思った。車さえあれば1日でたくさん遊べる。山の上のほうに行くと紅葉が濃くなって、湿原には不思議と生き物の気配がなかった。

日記の続き#191

東京駅から東北新幹線に乗って、那須塩原の板室温泉にある大黒屋という旅館で始まった五月女さんの個展を見に行く。駅からタクシーで平野の向こうに見える那須岳に向かって北上する。山にぶつかってすこしのところの渓谷に板室温泉はあって、温泉街と言っても営業している旅館はふたつくらいで、周りにはコンビニもない。フロントでこのあたりで煙草を買えるところはあるかと聞くとないということで、フロントにある煙草からマルボロメンソールを選んで買った。部屋から見下ろせる綺麗な川を見に出ると、これより上には誰も住んでいないからこんなに綺麗なのだということだった。しばらく周りを散歩して、部屋で夕飯を食べて、温泉に入った。袖が邪魔で浴衣を着てご飯を食べるのは難しい。昔、なぜか檜垣先生のゼミ旅行に着いて行ったことがあって、そこにはもうひとりの部外者としてアンヌ・ソヴァニャルグさんも来ていた。みんなで車2台に分かれて熊野まで行って、竜宮城という船でしか行けない温泉宿に泊まったのだが、そこでアンヌさんが旅館内で浴衣を着て過ごすことに戸惑っていたのを思い出した。風呂のシャンプーがタイ料理みたいな匂いで、リンスはヨーグルトみたいだった。シャンプーをするとたちどころに髪の毛がきしきしになったので心配になったが、リンスをすると直った。夜にしばらくこっちに滞在しているらしい五月女さんとさちさんと会って、サロンでしばらくお喋りした。

日記の続き#190

冷たい雨の日。傘を差してジムまで歩いて、ひとしきりトレーニングをして、外に出て閉まったビルの軒先で煙草を吸って、戻ってもうひと頑張りした。

ツイッターでたくさん見られているツイートに付いている名も無き人のリプライを見るのが好きで、マイナンバーカード義務化の話に、個人的には監視が多少面倒でも安心できて便利な社会のほうがいいと思うが、それはそれぞれの好みだと思うという旨の反応があって、「好み」という言葉にびっくりした。異なる立場の人間に理解があるような態度だが、「好み」と言ったとたんに、管理社会のなかで割を食うのは誰なのかということ、そこには「好み」など入る余地もないだろうことはスキップされる。でも世に言う「相対主義」とはこの程度のことを指しているのかもしれない。

日記の続き#189

京都に行く日。イッセイの黒いシャツと白いスエットパンツを着て出かける。シャツに袖を通しながらもう10年くらいこの服を着ているなと思った。学部生の頃、大阪の船場にあるイッセイのお店にたまに行っていて、いつも話しかけてくれる店員の小柄なお姉さんがいたのだが、決まって何着かレディースの服を試着させられた。あれはなんだったんだろう。横浜に住んでからあんまり服屋にいかなくなった。横浜にはいいお店がぜんぜんないし、服を買うために東京にいくのも面倒だ。行きの新幹線で駅で買ったおにぎりを食べて、帰りの新幹線で駅で買ったサンドイッチを食べた。キャンパスのすぐ外のファミマは喫煙者のたまり場になっていて、授業の前後に煙草を吸いながら勘違いした高校生みたいな粗暴な若者たちを眺めている。阪大も横国もこんな感じではなかったので、私立大はやはり別物だなと思う。授業で見るのは院生だけなので、彼らに比べるとぜんぜん元気がない。どちらがいいのか難しいところだ。

日記の続き#188

どうにも頭がしゃきっとしないので、ソファから少しずつ日が暮れるのを見ながら本を読んだ。

昨日難しい本は引用するつもりで読むといいと書いたが、これは文章を素材として見るということだと思う。写真家が街の景色を素材として見るように。何らかの表現に習熟するということは、経験——という語はできるなら避けたいが——を素材として何かを作ることができるということで、それは表現することであると同時にそうした素材に表現を見いだすことでもある(いぬのせなか座の山本さんがよく表現を見いだすという言い方をしていて、前から気になっていた)。哲学の文章の読み書きで言えば、難しいものが読めるようになるのはこの表現することと表現を見つけることの回路が構築されるということだと思う。昔ながらの講読レジュメがこの回路を作るのにいちばん手っ取り早いと思う。ところで、ドゥルーズは『千のプラトー』の動物−芸術論で表現という観念と所有という観念を結びつけていた。表現とは所有であり、所有とは表現である。表現とは何かに表現を帰属させることであり、表現することで初めて所有できる。知識ではなく素材を。所有=簒奪ではなく所有=贈与を。