1月26日

「私は噴霧器ではないので、いくら押されても希望の霧などこれっぽっちも吹き出しはしない」
———— ヘンリー・ミラー「春の三日目か四日目」

 もう眠い。今日はなぜか朝4時に目が覚めた。

 文房具屋で太い芯が入るシャーペンを見かけて、なんとなく買ってみた。紙をさりさりと擦って書く。いつからか、紙を触ると嫌な音を聞いたときのような不快感を覚えることが増えてきた。このシャーペンはギリギリのラインだ。

 こういう現象には音と触感のあいだの共感覚的なものが関わっているのだろうか。ちょっと調べてみたらそういう仮説も検証の余地ありとする聴覚心理学の論文が出てきた。この線で考えるとして、少なくともたとえば黒板を引っ掻く音は「黒板」というものを喚起するから不快だとは言えない——これは嘔吐の音が「嘔吐」を喚起するのとは全く異なる——だろうからには、それは知的な表象に関わっているのではなく黒板の触感とその音とのダイレクトな(そして双方向的な?)換喩関係に関わっているだろう。不快の要因はこの換喩関係に他の感覚(視覚、嗅覚、味覚等)が入り込む余地がないことによるのかもしれない。

 だとするとこれは共感覚が引き起こす不快というより、共感覚の強制的で部分的なシャットアウトが引き起こす不快ということになるだろう。たしかにそういう音や触覚は、体を当の感覚が喚起する印象に吸着してしまうような感じがある。ASMRが安眠に使われているのと裏表の現象なのかもしれない。こちらはいつも、音から特定の触覚とともに視覚的な像、場合によっては匂いや味もセットで喚起する。それはそれで苦手なのだけど。