1月24日

 午前7時、日記を書くのに最も似つかわしくない時間、そしてもう25日なのだけど、まだ「夜」で、まだ「24日」だ。こういうことはしょっちゅうあるだろうから決めておこう。翌日の正午までであれば、「その日」の日記になると。すると1日の切れ目が真夜中から正午にぐるっと反転することになる。これは実感に近いが、あらためて言葉にしてみると妙だ。

でも実際はもっとややこしい。今日はまだ寝られないからだ。10時半から今学期で唯一履修している授業がある。この単位を落としてしまうと博論が審査に通っても修了できない。寝られるのは授業が終わる12時になってからだ。正午で1日が終わるのであれば、その時間に寝るのは普通のひとが夜中に寝るのと同じだからいいんじゃないかという気もするし、同じだから何なんだとも思う。そんなパズルみたいなことより重要なのは、今眠いということだ。しかしこれから仮眠して授業を受けた場合、いつ1日は終わるんだろうか。次の「本眠」まで? すると1日が35時間くらいになる。日記を書くのに最も似つかわしくない生活。1日が始まったり終わったりすることへの嫌悪というものがどこかにあるのかもしれない。

1月23日

 雨。11時ごろに起きて、つぶあんパンを食べてコーヒーを飲んで、コメダに行った。博論を読み返す。いつもそうだけど、自分が書いたものを読むとよくこんな難しいこと考えたなと思う。書き終わった途端に、書いているとき、とくに書き終わりつつあるときのいちばん明晰な景色はぼやけ始めるが、対象化されることで別の可能性が浮かび上がってくるほどまだ時間は経っていないのかもしれない。ときどき喫煙ブースに立ちながらいくつか誤字や細かいツッコミどころをメモする。

 お腹が減ったので近くの丸亀製麺でうどんを食べて、有隣堂で最近上下巻が揃った岩波文庫のラカン『精神分析の四基本概念』を買って、ドトールに入ってそれを読む。前に単行本で読んだのは学部生の頃だった。指導教員の三宅先生が『意味の論理学』の原書講読をしていて、そこで参照されているラカンの「「盗まれた手紙」のセミネール」を読んだあとで借りて読んだんだと思う。ほとんどわけがわからなかったけど構造や眼差しの話が新鮮だったのは覚えている。

 スーパーに寄って帰って、ゲームしたり昼寝したりして、起きてから数食分のラタトゥイユを作った。参考にした動画ではラタトゥイユはトマト煮込みではなくトマトが入った野菜炒めなんだと言っていた。ざっと炒めて蓋をして数十秒蒸らすというのを、硬い順に野菜を一種類ずつ入れながら繰り返し、最後にトマトを入れてまた同じことをする。冷めるのを待ちながら肉も焼いて晩ご飯にした。ラタトゥイユは確かに食感がしっかりしていて美味しかったが、どろどろになってナンボなんじゃないかという気もする。

 今日4杯目くらいのコーヒー。煙草は毎日ほぼきっちり一箱吸う。睡眠時間がぐちゃぐちゃなので煙草の切れ目が一日の区切りだ。だから必ず一箱ずつしか買わないし、無くなったら何時でも買いに行く。初めて日記らしい日記になった気がする。