4月18日

 引っ越してキッチンが広くなって、ほとんど毎晩ご飯を作るようになった。豆ご飯とか、ハンバーグとか、ナスといんげんにすりごまとかパクチーとかを入れた醤油と酢のタレを和えたやつとか、湯通しした鰤と甘夏のカルパッチョとかそういうものを作っている。今日はアジフライと味噌汁を作った。魚に衣を付けていて高校生のときに居酒屋でバイトをしていたときのことを思い出した。サッカー部を1年で辞めて(後輩という存在ができるのが嫌だった)、学校にもあんまり行かなくなったので暇で始めた。時給680円(当時の岡山県の最低賃金)なのに月に8万円くらい稼いでいた。昼は定食を出していて、土日はパートのおばちゃん達と一緒に丸1日働いていたからだ。1年ほど経ってオーナーになんか時給安くないですかと言うと730円になった。出勤時間は紙のノートに書いていた。バイト禁止の学校なのにある日「肩幅」と呼んで嫌っていた数学教師が飲みに来て、オーナーに学校の先生が来てるんですけどと言うと、これ着けとけとマスクを投げられた。ビールを持っていくと明らかに気づかれていたが面倒を増やしたくないからか黙っていてくれた。オーナーは魚屋の息子で、昔は悪かったらしいが家業を展開して魚が売りの居酒屋を始めた(今思えば乱立し始めるスーパーにとても柔軟に対応したのだろう)。お前は頭がいいから——普通科高校に入学すると頭がいいということになる地域だ——司法書士になれといつも言っていた。高3の冬になってさすがにやめたかったのだが年末年始は忙しいからとなかなかやめさせてくれず、正月明け、つまりセンター試験の2週間前まで普通に働いていた。思い出したのは、その元旦の未明におせち400セットの仕込みをしたときのことだ。かさごか何かの唐揚げの準備で、いつも寝不足の社員の中村さんが内臓を抜いた400尾の魚にひとつひとつ小麦粉を付けていく。まだ明るくもなっていない真冬の朝に店の外の「チャンバ」と呼ばれる巨大な冷蔵庫の脇に広げられた大きいバットに並んだ冷たい魚にひたすら粉を付けていて、本当に何をしているんだろうと思った。

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カテゴリー: 日記