4月19日

 昼寝から起きて、ユニクロで買って帰ったTシャツのタグを切った鋏が口を開けて机にあったので閉じてしまった。初対面の人に会うと、知らない人だと思う。顔はあまりに新規なのであまり見ないようにする。言葉になってしまえばもう知っている人だ。人との別れ方にもいろいろあって、ある瞬間にこの人を知らないと思ったり思われたりして別れることもあるんじゃないかと思う。それが、盗み見たチャットの言葉遣いのこともあるだろうし、連れて行かれたつけ麺屋の匂いであることだってあるだろうし、椅子の引き方かもしれない。もう取り返しがつかないくらい知らない人だと思う。誰もが誰をも知らない可能性があまりに怖いので「この人」の知らなさで済ませたくなるのかもしれない。本当にそれを怖がっているのかはわからない。

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4月18日

 引っ越してキッチンが広くなって、ほとんど毎晩ご飯を作るようになった。豆ご飯とか、ハンバーグとか、ナスといんげんにすりごまとかパクチーとかを入れた醤油と酢のタレを和えたやつとか、湯通しした鰤と甘夏のカルパッチョとかそういうものを作っている。今日はアジフライと味噌汁を作った。魚に衣を付けていて高校生のときに居酒屋でバイトをしていたときのことを思い出した。サッカー部を1年で辞めて(後輩という存在ができるのが嫌だった)、学校にもあんまり行かなくなったので暇で始めた。時給680円(当時の岡山県の最低賃金)なのに月に8万円くらい稼いでいた。昼は定食を出していて、土日はパートのおばちゃん達と一緒に丸1日働いていたからだ。1年ほど経ってオーナーになんか時給安くないですかと言うと730円になった。出勤時間は紙のノートに書いていた。バイト禁止の学校なのにある日「肩幅」と呼んで嫌っていた数学教師が飲みに来て、オーナーに学校の先生が来てるんですけどと言うと、これ着けとけとマスクを投げられた。ビールを持っていくと明らかに気づかれていたが面倒を増やしたくないからか黙っていてくれた。オーナーは魚屋の息子で、昔は悪かったらしいが家業を展開して魚が売りの居酒屋を始めた(今思えば乱立し始めるスーパーにとても柔軟に対応したのだろう)。お前は頭がいいから——普通科高校に入学すると頭がいいということになる地域だ——司法書士になれといつも言っていた。高3の冬になってさすがにやめたかったのだが年末年始は忙しいからとなかなかやめさせてくれず、正月明け、つまりセンター試験の2週間前まで普通に働いていた。思い出したのは、その元旦の未明におせち400セットの仕込みをしたときのことだ。かさごか何かの唐揚げの準備で、いつも寝不足の社員の中村さんが内臓を抜いた400尾の魚にひとつひとつ小麦粉を付けていく。まだ明るくもなっていない真冬の朝に店の外の「チャンバ」と呼ばれる巨大な冷蔵庫の脇に広げられた大きいバットに並んだ冷たい魚にひたすら粉を付けていて、本当に何をしているんだろうと思った。

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4月17日

 珈琲館。背中から老人3人の会話が聞こえる。誰かがゴディバの店がどうこうという話をした。他の2人はゴディバを知らないらしい。ゴディバが何の店で、どこにあるのかというやりとりが断片的に聞こえてくる。初めは1人だけが知っている話題だったはずなのに、話が積み上がり、そごうのあの店の向かいあたりにあるというところまで来ると、もうどの声が知っていた人のものなのかわからない。苺のヘタを噛み切るように途切れ途切れの言葉をテーブルに投げ合って、それぞれが勝手にそこから何かを拾って話している。知らないと言ってすぐググるよりこっちの方がずっとコンピューターっぽいなと思った。

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4月16日

 昨日の続き。書いてみてなるほど自分はこういう風に考えていたのかと気づけて面白かった。誰だってそうだと思うけど自分の書き方が明晰にわかっていてそれをぱかっと当てはめれば書けるなんていうことはなくて、なんだかわからないままに書いていることに文章や言葉に対するどういう態度が反映されているのかということも後から振り返ってやっと少しわかる。

 それで、昨日書いたようなこと、とくに段落の捉え方にいたる手前でどういう試行錯誤をしていたかということを今日は書く。文章を書いていて手が止まるのはどういうときなのかということを考えてみると、たいていロジックや主張どうこうというより、今書いているセンテンスや段落をどう終わらせれば次に飛べるのかわからなくなったときだ。読み返してみる。ここまでは筋が通っている。どこに到達するべきか、そのための大まかなステップも決まってはいる。しかしなぜか手が動かない。急かすようにカーソルが点滅し続けている。

 こんなときどうすればいいのか、という苦悩のなかで生み出されたのが勝手に「パラグラフ・パッド」と呼んでいる推敲法だ。まずA5サイズのリーガルパッドを用意して——大事なのはそれがなるべくどうでもいい紙であることなので何でもいい——キーボードの傍に置く。手が止まったら、次に踏むべきステップとそこに含まれる要素を箇条書きで書く。ばらばらと書いているとそこに段落の切れ目が見えてくる。段落の切れ目が見えると文の組み立ても見えてくる。それで次の一文を書いてみる。また手が止まったら紙を破って捨てて次のページに箇条書きをする。このやり方の第一の利点は手を動かし続けられることだ。いかに「知的」な作業でも腕を組んで頭を捻っているだけで突破できるようなことなんてないし、かといってエディタに書いては消しを繰り返すと文が荒れてくる(単純に誤記も増えると思う)。PC上で別のメモ用のアプリに飛ぶと気が散ってしまう。

 面白いのは、パッド1を書いて少し進めてまた手が止まったときに書くパッド2の内容は、パッド1とぜんぜん違うこともままあるということだ。とはいえさすがに全体的な主張や流れがいきなり変わるわけではないので、木を見て森を見ずというか、見る木が変わることで木と森を繋ぐ中間構造ががらがらと変わっていく。物として残らないから気づかなかっただけで、そういうことはパラグラフ・パッドを使う前から起こっていたのだろう。ある一文を書くこと、あるいはある言葉尻の選択が、それより大きいスケールに変化を迫ることを許容するような、もっと言えばその変化をドライブとするような書き方。パラグラフ・パッドはそれを助けてくれると同時に、それがあることに気づかせてくれた。

 これが昨日の日記のエピソード・ゼロだ。

 

 

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4月15日

 文章を書くとき、あれとあれとあれを言うみたいなトピック単位のアイデア出しだけして、あとは頭から書きやすい順番に書く。順序だったプロットをあらかじめ立てるのが苦手で、あるアイデアと別のアイデアのあいだの連関はなんとなくありそうな気がするという程度のものだ。盤がこちらとあちらに分かれて、あちらの大将を取る将棋やチェスのような直線的な書き方ではなく、置いた石、置かれた石でなんとなく盤の磁場が移り変わる囲碁のような書き方をしていると言えるかもしれない。こういう考え方は、ひとつには段落(間)の構成に跳ね返る。原理的には段落をどこで終わらせてもいいものとしつつ、実際的にはここでこの段落は終わりだとすることによって初めて次に書くことが開ける。アカデミック・ライティングと呼ばれるような書き方では総論と各論を文全体のあらゆるスケールでカスケード型に反復することが理想とされる。したがって各段落の終わり方は上位のスケールから演繹的に導かれる、というか、理想的には書く前から決まっている。踏み込んだ言い方をすればここには書くことへの恐怖がある。もちろんこうしたお守りに頼ることもあるし、学術的な場で文章を書くときはそうした構造との緊張関係のなかで書くことになる。選択は単純にどちらを取るかというものではなく、いずれかを取ったことで発生する緊張関係に、当の文章のなかでどのように向き合うかというものになる。この話のポイントは、仮に文章を将棋的な書き方と囲碁的な書き方に分けられるとして、前者が権威的で官僚的なもので、後者が革新的で芸術的だと言うだけでは済まされないということだ。文法と修辞の対立に比せられるようなものをここに見るべきではない。修辞学的に隠喩的/換喩的と言ってもいいし、言語学的に連辞的/範列的と言ってもいい。どちらでもいいしどちらでもない。フォーマット化されたリーダビリティに流し込むのでもなく、文体実践に居直るのでもなく、リーダビリティの開発を実験の対象にする必要がある。読者を作るということはたんにその数を増やすことではなく、新しいリーダビリティを作るということとイコールだ。

 明日はこの続きを書くかもしれない。

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4月14日

 久々に夜書いている。いつからか起きてから前日の日付で日記を書くのが習慣になっていて、これはこれで日記をたんに1日の「振り返り」的なもの、忘れないうちに書き留めるものにせずに、すでにある程度忘れた状態から書き始めることができるのでいいなと思っていた。しかし今度は困るのが起きて1時間以上(それくらいかかることが多い)わりと集中して文章を書くと、もうすでに結構疲れているということだ。加えて、昼過ぎに起きるので朝ご飯を食べたり日記を書いたりなんやかやでひと息つくともうほとんど夕方で、喫茶店も早く閉まる昨今ぜんぜん身動きが取れないし、見たいなと思った展示も映画も今日は動き出すのが遅かったからと先延ばしにしてどんどん終わっていく。こうして寝る前に書けば陽のあるうちにやりたいことができる。布団のなかで日記のことに——今日なんにもなかったけどどうしようと——気を揉む必要もない。起きて、日記を書いて、それで何かをやった感じになり、だらだらして、次の日記に怯えながら寝る。リボ地獄みたいなものだ。その日の日記をその日に書く。素晴らしい発明だ。もう3時だけど。

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4月13日

 確定申告の書類を作ったはいいが、引っ越したてで免許の住所書き換えをしていないしマイナンバーカードを持っていないので、役所にマイナンバー入りの住民票をもらいに行かなければならない。もうすぐ期限なので急がなければいけないが面倒になり本屋へ行って納富信留『ギリシア哲学史』(最近やたら高い人文書をよく見るようになったけど700ページ超で4400円は格安だ)を買ってコメダでずっと読んでいた。何かをすっぽかして喫茶店で本を読むことほど幸せなことはない。大きめの文章のアイデアもぽこぽこ浮かんでとても静かで充実していた。納富本はほんとにすごい本で、まだ100ページくらいしか読んでいない——やっとタレスやアナクシマンドロスが出てきた——けど今のところ「他者」と「人間」という言葉に当たりをつけて読み進めると著者自身の思想的な態度が炙り出せそうだという感触がある。このあたりにギリシア哲学の現在性が賭けられていそうだ。浮かんだアイデアは、分析哲学でクリプキの『名指しと必然性』が、大陸哲学でリオタールの『言説、形象』が、芸術学でクラウスの「指標論」が、なぜそれぞれ言語の外延性(言語外の対象を指示すること)をあんなに必死になって救おうとしているのかという問いに関わる。彼らに対して、こないだ書いたドゥルーズが言葉は冗長性なんだと言っている話は、言語の基礎づけに外延性を全く必要としない。東浩紀の『存在論的、郵便的』の固有名論へのアプローチもこの線から作れそうだ。

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4月12日

 昨晩「マシュマロ」という匿名の質問やメッセージを集められるサービスを使ってツイッターで返答した。30通くらい来てびっくりした。それに好きな小説、音楽、映画を聞く質問とか、どれも素朴な質問で面白かった。ひとつくらい賢しらな、要はお前の嫌いな奴を教えろと言っているような、ツイッター適応が行きすぎた質問も来るかなと思っていたんだけどそういうのはぜんぜんなかった。それにしても知らない人からの質問に答えて、個人サイトを立てて日記を書いて、いったい何年前のインターネットをやっているんだろう。この日記をやり始めてすぐ思い出したのは、高校くらいの頃に読んでいたいくつかの全く知らない人がやっているブログだ。そのなかでもイトーさんという人がやっていた、ポストロック、エレクトロニカ、ノイズを紹介するブログはいつも更新を楽しみにしていた。TortoiseのTNTを知ったのはそのブログで、黎明期のyoutubeでライブ映像を見て、HMVの海外盤まとめ買い割引で買った。当時は輸入のCDがいちばん安く音源を手に入れる手段だった。大阪に出てからはK2レコードという日本橋にあるとんでもない(ほんとにとんでもない)品揃えのレンタルCDショップに行って、くらくらしながら一度に20枚くらい借りていた。そうこうしているうちに定点観測するブログもなくなり、音楽はサブスクリプションになった。SNSのおかげで友達はできた。でも何かが失われたわけでもないのかもしれない。失われたと思わせることもプラットフォームのひとつの効果だろう。昨日のやり取りでそういうことを感じた。

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4月11日

 日曜日。日曜日は苦手だ。昼過ぎに起きて、だらだらして、昼寝をして、ご飯を食べて、だらだらして寝る。出かけても人が多いし、家にいても何も捗らない。それにしてもここ1年間、近所の人出が減ったという感覚が全くない。すぐそこにある横浜橋商店街はいつ行っても賑やかだし、特に日曜は珈琲館やコメダに行っても待たないと入れない可能性がある。どちらにいても聞こえてくる会話の半分は外国語だ。中国、韓国、タイ系のお店が多くて黄金町から関内までを東西に貫いているイセザキモール——モールというよりただの商店街だ——周辺は移民街と歓楽街が重ね合わされたような場所になっている。かつての赤線地帯であり違法風俗店が密集していたという大岡川沿いは「浄化」され、その空白を埋める間に合わせのアート系の施設や飲食店が並んでいる。しかしそこから1本南に入ったイセザキモールのさらにひとつ南の裏道には性風俗業界がほとんど派遣型に引っ込んだ今となっては珍しい店舗型の風俗店が1キロ以上に渡って立ち並び、背中を向けた幹線道路側にわざわざ大きい看板を連ねている。通りを横切るとときおりぬるく湿った空気とともに石鹸の匂いが立ち込め、各店舗の前にはキャッチのおじさんが暇そうに立っていて、大量のタオルが入った袋が道端に投げ出されクリーニング業者の回収を待っている。深夜12時を過ぎると店の明かりは消え、イセザキモールから折れてくる帰り道のサラリーマンを目当てにキャッチが薄暗い四つ角にぱらぱらと集まってくる。おおかた派遣型の営業に切り替えて近くのホテル街に誘導しているのだろう。この時間になるとホットゾーンは北側の福富町に切り替わる。いちど桜木町の映画館でレイトショーを見た後歩いて帰るときにそのあたりで「マッサージ」のキャッチをしている中国人女性4人に腕を掴まれ背中を押され力ずくで店に押し込まれそうになった。夏には完全にタガが外れて道端で花火をしている人もいるし、パイ投げ合戦をしているところを通りがって「投げますか」と聞かれたこともある。脇にある薄暗いエリアには24時間営業のJ’s Storeという美味しいタイ料理屋があり、その周りの有料駐車場にはタイ人女性と元締めらしきおじさんがたむろし、不自然に胸の大きい白人がまばらな電灯の下に立って何かを待っている。何を見張っているのかわからないがヤクザの車が、ランプだけつけたパトカーと同じように速度を落として周回している。

 住み始めて4年経つがやはりこの街のことは——道徳的にというより能力的に——まだ書けないという感じがする。日曜日が苦手なのは平日の昼に働きに出ている人が街の風景に加わってこの街のことが余計にわからなくなるからだろう。でも言うまでもなくそれもこの街の事実だ。この珈琲館の目の前にある、イセザキモールに並行する大通り公園ではおじいさんが集まって地べたで将棋を指している。下校する小学生たちの嬌声には日本語と中国語が混ざっている。考えているのはこの街のことであり、同時に、近所とは何かということだ。イセザキモールと大通り公園というふたつの「表」通りを軸に、あみだくじのようにそのあいだをぶらぶらして毎日を過ごしている。いつも何をしているのかと問われれば近所をぶらぶらしていると答えるのがいちばん実情に即している。間違いなくこの街とともにあるが、この街に帰属しているという感じは全くない。この街にいる多くの人がそうなのだろう。ライプニッツは都市の近景と遠景の違いからそれぞれのモナドに乱反射する世界と神の統一的な視点の違いを説明したけど、近所は近景に収めるにはあまりに異質であり、遠景に収めるにはあまりに雑多だ。

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4月10日

 友達の家でご飯をご馳走になって喋っていると遅くなってしまい、終電で横浜駅までしか帰れなかった。タクシー乗り場で前に並んだ若い男の人がいやマジもうそういうメンタルなんでと絞り出すような乾いた声で笑いながら、先輩にたぶん今夜会った女の人とうまくいかなかった、でもぜんぜん大丈夫なんだというような電話をしていた。どんなにダメなデートでもひとりで静かに帰りたいと思う。せっかくタクシーに乗るんだし。

 家を出る前に冷蔵庫に入れておいた、ピンクグレープフルーツフレーバーのペリエを飲む。ここのところずっと近所のまいばすけっとで買ったウィルキンソンのグレープフルーツばかり飲んでいたが、どうせ毎日飲むから箱で買おうとamazonを見ていたら見つけたものだ。いつもの緑のボトルにピンクのキャップが付いているのはどうなんだろうと思うけどとても美味しい。ウィルキンソンは粗くて強い炭酸でフレーバーの苦味も感じるソリッドな飲み口なのだけど、ペリエにはミント的な抜け感がある。あっさりして粒度の高い、砂浜を引く波のような感触だ。翻って思うのはコカコーラのあの、飲んだそばから喉が渇くような甘さと痛覚に達するような強い炭酸は何なのかということだ。コーラ、ウィルキンソン、ペリエ。これは好みの変遷というより拡張で、いまだに折に触れてコーラも飲む。ウィルキンソンまではコーラの代用品という感じだったがペリエまでくると何かひとつの軸ができつつある。塩味とか油分とかいろんな軸が食生活を貫いているが、コーラが教えてくれるのはそれが痛みという軸だということだ。水は痛くないコーラだ、と言うにはまだ至っていないけど。

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