5月29日

 『現代思想』のポストモダン特集を読んでちょっともやっとしてしまう。ひょっとすると岩波の『思想』との距離でエッジな感じを測っているのかもしれないが、『ゲンロン』とか『文藝』とかとの距離感でやっていくべきなんじゃないかと思う。座談会も論考もみんな「ポストモダンって言われたので」みたいな感じだし、読む側もポストモダンって言ってるしまあ読むかという義務感しかフックがないし、個別の議論の深度を見る手前でなんだこの妙な印刷物はと思ってしまった。巻頭言を立てる強い編集がそれはそれでイージーなのだとしても、書き手や読み手から能動的な態度を引き出す下心がないと回覧板みたいになる。ポストトゥルース時代に諸悪の根源とされるポストモダン思想を再検討しようというのは、来月の祝日に公民館の掃除をするので集まられたしというのと何が違うんだと思う。まさにポストモダンはその違いがわからなくなる時代なのだとしたら、雑誌は回覧板じゃないということをまず示すべきではないか。

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カテゴリー: 日記